7月20日、孫の安希与の誕生会が、文京区の自宅で行われた
 私は大人数の親族に恵まれていて、誕生日等、何かにつけて全員集合となる。
 小田家は、芸術一家で、その上母親、つまり私の次女だが、恵理は本まで出して、おもてなし教室を開いたりしている。
 だからこの夜の誕生会は、孫が中心になっての手造りの大晩餐会となった。

 宴会の開会には、本人の挨拶から始まることを恒例にしている。出来るだけ人前で挨拶できるようにさせたいとの、私の教育方針なのだ。
 安希与の言葉には泣かされた。
 「私は、おじいちゃんの生きざまを見て育ってきました。だから早くから自分もおじいちゃんのような政治家になりたいと思い続けてきました。でも、2年前に選挙で敗れて、あんなに一生懸命日本の為に働いてきたのに、どうして報われないのか、ずうっと悲しくて納得いかなかった。政治家への私の夢が揺らいでいます。これからどのような方向になっていくのか自分でもわからないが、精一杯努力し、自分の思いを発信させていきたいと思います。」
 まだ高校3年生の女の子なのに、こんな風に立派に成長してくれたかと思い、一方で、私の選挙の敗北で孫たちの心を、どんなに痛めていたのかと考え、思わず目頭を熱くしたのであった。
 他の孫たち、香瑠、麻紀、隆仁、(9ヶ月目の隆元は別だが)、それぞれに私の落選が影を落としているのかと思うと、政治家とはなんと因果な道なのかと、改めて思うのだった。
 これからも彼らは、私の背中をずっと見つめて暮らしていくに違いない。そう思うと、責任の重さを考えぬわけにはいかない。
 まあ、今までどうり、真面目に誠実に、堂々とわが道を歩み続けることしかない。色々なことを考えさせられた、しかし、素晴らしい一夕であった。

 7月21日、自民党台東区総支部議員連絡会が根岸の「笹の雪」で開かれた。
 服部総支部長の配慮で、この夜は内助の功の夫人同伴の暑気払いをかねての宴だ(新人の望月区議の内助の功はご主人だが)。

 つい3日前の自民党政経塾の講義で、たまたま私は区議や都議の苦労を語っていた。一般に、国会議員も含めて、政治家はよほど恵まれていると思われている。
 しかし、日常の暮らしや、経財的な面でも決して恵まれている訳ではないことを、具体的にある議員の収支報告をもとにして話したばかりだった。
 ある区議は、月収59万9千円だが、所得税、党費、会派費など引くと、手取りは約40万円、政務調査費は会派に半分取られるので残り6万円、通信費、交通費で無くなる。
 一方、支出は国民健康保険、国民年金、会合費、冠婚葬祭費と嵩(かさ)み、残りは2~3万円だ。ボーナス200万程度を加えても、とても生活できない。
 やむなく奥さんがパートで働いている。

 その上、選挙となると莫大な資金が必要だ。よくお金のからない選挙と言うがそうはいかない。この区議の場合、選挙事務所20万円、看板類31万円、宣伝カー(スピーカー、看板も含め)50万円、ポスタ―、はがき、新聞46万円、人件費36万円、食糧費27万円、雑費・・・・と200万円以上かかる。

 都議会議員も同じようなもので、額こそ103万円と多いように見えるが、種々引かれて手取りは68万円くらいである。
 政務調査費も議員に渡るのは40万円、そこから事務所賃貸費16万円、人件費15万円、都政に関わる会合費30万円等かかるので、まったく足りない。
 これ以外で一番大変なのが冠婚葬祭や種々の会合費だ。1月の新年会は150回以上ある。おおむね1万円程度の会費は出さなければならない。(私の場合新年会は700回前後)。
 手取り収入68万円で生活費を賄うが、家賃25万円、学費25万円、雑貨15万円と嵩み、これにボーナス140万程度が出るので何とかやりくりしているといったところである。
 選挙になると都議は区議の何倍もの支出となる。

 よく、政治家は何でも出来ていいと言われるが、これも逆で、政治家だからあれも我慢これも我慢となる。
 ちなみに私の家は、息子家族との2世帯住宅で4階建てだが、当初は娘たちとも一緒にと、8階建てを計画し、建築許可も下りていた。
 ところが、たまたま家の真裏が田原小学校で、当時の校長と一部の父兄から、なんとか空を残してほしいとの陳情があった。戸惑ったものの、せっかくの申し出だから政治家としては応えないわけにはいかぬ。思い切って一気に4階も削ることにしたのだ。160坪を捨てたわけだから、莫大な損害になるのだが、政治家だから我慢、ということであった。
 あれから近隣で続々とビルが建った。皆10階、11階の高層建築ばかりなのである。  

 地方議員たちは、色々な意味で決して恵まれている訳ではない。そんな厳しい状態なのに、では何故頑張っているのか。
 それは彼らに人生を賭けた志があるからだ。夢があるからなのだ。
 私自身、政治家を志したあの頃の夢を、今も追いかけ続けている。
 この愛する国を少しでも良い国にしたい、子供たちが誇れる国を作りたい、そして、私を育て支えてくれた人たちの為に、この地域を発展させ、喜んでもらえる状況を作りたい。そんな熱烈な思いは昔も今も変わらない。だからどんな苦労も厭わないのだ。

 この夜集まった議員夫婦の日々の努力を、万感の思いを込めて私は心から労った。
 みんな気のいい人たちばかり、なんと明るい連中だろうか。
 皆と杯を交わしながら、本当にうれしい心、であった。
 彼らの為に少しでも役立ってあげたい、そんな思いに駆られていた。