昔、国会議員1年生の頃、ある週刊誌の取材で、当時、東京都知事であった美濃部亮吉氏についてどう思うかという質問があった。
 その少し前まで私は都議会議員で、美濃部キラーと話題になるほど、野党議員として厳しい質問を繰り広げていた。だから、きっと辛辣な声が返ってくると期待して取材に来たのだ。
 しかし、私もすでに国会議員、ここは政策論でいこうと、美濃部都政の政治のあり様について、懇切丁寧に2時間もかけて語った。熱心に聴いていた記者、「政策的なお話はよくわかりました」といかにも感心した風情であった。
 帰りぎわに、ふと立ち止まって、「美濃部さんの顔をどう思いますか」と何気なく聞かれたので、よせばいいのに「あの顔はどうも女々しくて嫌いだ」と思わず言ってしまった。
 次の週に出た記事を見てびっくり、なんと「この悪口雑言」という見出しで、「顔が嫌いだ」と言った、その部分だけが記事になっていた。なんのことはない、最初から、そんな言質をとろうと狙っていたのだ。初めから決まった取材目標があったのである。しまったと思ったが後のまつり、おそらく美濃部贔屓のファンから、自民党の深谷は嫌な奴と思われたに違いない。

 あれから何十年も政治家として歩んできて、随分マスコミの人達とも付き合ってきた。特に要職にある時は、いわゆる番記者といわれる人たちに、いつも囲まれていて、時には公私ともに深く長いつき合いになったりしていた。皆愉快でいい連中ばかりだった。
 私も、したり顔で、記者との対応の仕方やつき合い方を、後輩に教えたりしたものである。
 前回の選挙で惜敗して無冠になった今も、相変わらず記者との交流は多いし、取材もよく受ける。なぜか特に近頃は週刊誌の取材が多く、そのおかげで何冊かの週刊誌が毎週送られてきたりしている。だんだん評論家扱いになっているようで、それも面白いと真面目に対応するようにしている。

 この7月21号の週刊新潮に私の記事が出ている
 内容を読むと、なんだか最初から意図が決まっていたようで、あんまりおもしろくない。自分の経験から見て、最近ではちょっと珍しいケースであった。
 別に目くじらを立てるほどではないし、どうということもないのだが、少し触れてみようかと思う。

 「脱原発解散」の悲喜劇とのタイトルで、民主党の面々を巡っての面白い記事が沢山載っている。
 最後が、「世代を巻き戻す自民公明「長老素浪人五人衆」復活の日」とある。
 山崎拓さんや公明党の太田昭宏さんと一緒に、全国代表5人の中に私も入っている。まことにもって光栄の至りだが、最初に、「国会議員を3日やったらやめられない」とか、最後に「自公の亡霊たちも蘇らせるかもしれないのだ」と書いてある。ちょっと待ってくれよといった感じである。

 「乞食を3日やったらやめられない」とは聞いたことがあるが、政治家について、そんな比喩は聞いたことが無い。無理して作った、というところか。
 48年という長い年月、ゼロから出発して、区政、都政、国政へとひたすら尽くしてきた私に、何も知らない、会ってもいない若い一記者にそんなふうに言われる筋合いはない。

 財はともかく、数々の要職を歴任してきた私にとって、もはや、名誉や地位など欲しくもない。あるのは、今の政権に対する大いなる怒りと、このままでは日本がダメになるという危機感だ。
 もし、求められるなら、私のもてる経験と知識と情熱の全てを尽くし、愛する日本の為に、もう一度、一身を捧げたいとは思っている。しかし、それはあくまで求められたならの話である。
 なんでもかんでも国会に戻りたいなどとは考えたこともない。なによりも、今の暮らしに満足しているのだから。

 この記者は、一応、私に会うために、台東区日本堤の妹のところを訪ねたようだ。そこは私の昔の家で、奥に事務所があり秘書もいる。
 私は、今は雷門に住んでいるのだが、そんなことも知らないようだった。
 彼の名誉の為に付け加えるが、最後に私と電話はつながって、その時言ったコメントは正しく載っている。
 この記事は、私一人のことを言っているのではなくて、5人ひと束にして、あらかじめ考えた、予定通りの方向で記事を書いたといった塩梅なのだ。
 要するに、歳を重ねたら政治家は駄目という、あらかじめ決められたトーンで全体をまとめているのだ。今問題の「やらせ」と同じ構造ではないか。

 確かに、近年、若い人なら何でもいいといった風潮がある。本当に若ければいいと考えているだろうか。
 例えば、現政権民主党の議員を、つぶさに見てもらいたい。なるほど若くて良い政治家だ、さすがだと思われる政治家が一体何人いるというのか。
 私自身期待していた議員もいたが、次々とヘマをして、今ではほとんどこれはと言う議員はいない。残念だが本当のことだ。
 むしろ、政界大混乱はベテラン不在の故ではないかと思っている。

 若い人たちを立派に育てることは大事なことで、私は大賛成である。だからこそ私は、TOKYO自民党政経塾の塾長として、必死に指導を続けている。もう6年目になるが、自民党が下野した、最も不人気な時でさえ、いつも定員オーバーで満員盛況だ。輝くように希望に満ちた塾生と、青年のように?張り切って教えている私の姿を、一回くらい取材して欲しいものだ。

 話は少し変わるが、例の松本復興大臣が辞める時、「粗にして野だが卑ではない」と語った。自分は粗野だが、人格的には卑しくは無いという意味だ。
 あれは城山三郎氏の小説の題名で、第五代国鉄総裁石田礼助の生涯を描いたものだ。
 石田氏は粋で折り目正しく、男が惚れる頑固で一徹の偉丈夫であった。  
 立場や権威を笠に着て威張らない。自分の心にやましさがないから、いつも堂々としている。なぜ松本前大臣が言ったのか分からないが、彼とはまさに正反対の人物であった。 
 新幹線の開業にも立ち会ったJRの父とも呼ぶべき人だったが、この要職に就いたのは78歳の時であった。多くの成果を挙げて98歳で逝去するが、晩年、車椅子で自宅を出る時、さりげなくボルサリーノを被るなど、最後までダンデイであった。   
 そこが言いたかったのだが、どう生きるか、どう成果をあげるかに、年齢は全く関係ないのだ。仕事ができるかどうかは、元々、年齢とは無関係なことなのだ。

 サムエル、ウルマンは、かの有名な詩「青春とは」で言っている。
 「歳を重ねただけで 人は老いない 夢を失ったとき はじめて老いる
 青春とは 真の青春とは 若き肉体の中にあるのではなく 若き精神の中にこそ ある・・・・」(1922年、家族が発行した詩集「80年の歳月の頂から」の巻頭の歌) 

 歳をとった人は、「今の若い奴は」と言う。しかし、彼も若い未熟な時代を歩んできた。
 若い人は、「お年寄りは」と敬遠する。しかし、間もなく彼自身も老いていく。
 大事なことは、それぞれの世代の人達が、どう協力しあっていくかということだ。
 これからの日本を、立派に成長させていくために必要なことは、世代間の協力以外にない。青、壮、老が如何に連携、協力していくかなのだ。
 昔、中曽根康弘先生が、「昭和の人はエンジンになれ、大正の人はハンドルを握れ、そして、明治の人は、経験に基づいて道を教えろ」と説いたことがある。   
 まさに名言で、この言葉は現代でも立派に通用すると思う。

 それにしても、亡霊とは失礼な言いかただな・・・。

 平成17年、私は実に5年ぶりに13万票もの得票を得て、返り咲いた。この選挙の時、反対候補の幹部が公の席で、私を指して「ゾンビに負けるな」と、檄を飛ばした。
 私は13万票と言う大量得票で当選したが、その時、私は秘かに、「俺はゾンビでなく不死鳥さ」と思っていたのだ。
 今の私は、亡霊どころか元気いっぱいの青春時代の政治家さ。

 とはいえ、本音を言えば、あと、せめて10年若ければと、正直、思ったりしているのだ。 ああ・・・無念。