言いたい放題 第179号 「お祭りすんで日が暮れて」

 6月24日、中央区のロイヤルホテルで、深谷骼i叙勲祝賀会が開かれた。
 昨年秋、私は旭日大綬章という最高の叙勲の栄に浴した。(前は勲1等旭日大綬章) 
 台東区では浅草ビューホテル、次いで選挙区外の私の関係者友人たちのホテル・ニューオータニの祝賀会と続いたが、3月14日に予定していたのがこの中央区の大会だった。
 ところが、1000年に一度といわれる東日本大震災が、その3日前の11日に起こって、大変な数の方が亡くなり、被災者は塗炭の苦しみに襲われた。
 とても祝賀会を開く状態ではなく、急遽延期となっていたのだ。

 今も避難所にはまだ10万人を超える人達がいる。天災が、政治の対応のまずさですっかり人災と化してしまっている。
 一方で、自粛ムードが蔓延して、日本全体が落ち込んでいくばかりである。
 これではかえって東日本の被災地、被災者は救えないと反省の声も広まり、社会全体が、通常の生活に戻るようになってきた。
 そんな中、深谷の祝賀会も開き、地域の元気を取り戻そうとなったのである。

 300人近い人々が会場を埋めた。
 新しい人も多いが、何よりも長年支援を続けてくれた古い、懐かしい人達が大勢集まってくれた。
 この人達の熱い友情や愛情は、私が良き時も悪しき時も変わらない。
 その支えで今の私がある。叙勲の栄もこの人たちのお陰だとしみじみ感じ、嬉しかった。

 宮中で叙勲を頂く時は、燕尾服だ。勳記を陛下から頂き、勲章は総理大臣から渡される。(本当は菅さん以外の方ならなお良かったのだが、そうも言っていられないか。)
 一般に燕尾服など持っている人はいないのだが、私の場合は、20年前に作っている。
 丁度、明仁陛下の即位の礼の時、大臣は燕尾服着用が原則で、私は郵政大臣だったからである。
 もっとも、あれ以来一度も着る機会は無い。それこそタンスの奥から引っ張り出したのだが、一体、寸法が合うのかどうか不安であった。結論から言えば、少し直した程度でおさまった。つまり20年前と体形はあまり変わってなかったということで、これはちょっとした自慢話ではある。

 せっかくの燕尾服だ。ただ、挨拶だけでは能が無い。今回は本邦初公開、私の得意のタップダンスを披露しようと決めた。参加者への大サービス?だ。
 
 実は、私のタップダンス歴は古い。2番目の娘が成人式を迎えるにあたって、2人で皆を驚かすようなことをしようとなった。私は往年のフレッド・アステアのフアンで(昭和生まれの人に彼のファンは多い)、機会があったらタップを習いたい、踊りたいと秘かに考えていた。
 結局、友人で作曲家の都倉俊一氏の紹介で、加藤・千春グループの練習所に通い習い始めた。
 以来、散発的に練習を続けて今日に至る。つまり年季が入っているのだ。

 タップは細かい足の動きで決まる。その上、歌に合わせて振付され、それを頭に入れて踊る。言い換えれば、大脳と小脳を一度に駆使するのだから、これほど老人向けの運動は他にはちょっと無いのではないか。
 
 今回の相棒は川村君で、若い彼とも長い付き合いで、息もぴったりだ。
 「ミスター・ボージャングル」というショートストーリーを私が弾き語り、彼が躍る。その後は彼との掛け合いで、タップを踏んだ。
 「ひとたび踊りだすと、客の目は釘付けになって、そりゃ盛り上がったものだった。軽やかで力強く、誰も真似できないリズムを刻み・・・・」と、これは実は「ミスター・ボージャングル」のセリフの一節。
 私のタップがどうだったのかは、参加者に聞いて欲しい。

 宴が終って、退場する人々を最後まで見送ったが、「若い、元気だ、これからだ、頑張って」と握手握手の熱気に包まれ、私も久しぶりに心が高揚したものである。
 ああ、あと10年若かったら・・・、そんな叶わぬことを一人考えていた。

 6月27日6時からは、椿山荘で文京区後援会の主催で、私の叙勲祝賀会が開かれる。これが今回の私の叙勲祝いの最後の催しとなる。
 「お祭りすんで日が暮れて…」という歌があった。
 まあ、終わった後のことは、今から考えないことにしよう。