今度、自民党東京都連主催の新人議員研修会で講演をする。この間の地方統一選挙で当選した区議会議員や市議会議員が相手だ。
 すでに私が塾長を務めている政経塾で、地方議員らの指導を行ってきたから、そんなに格別の事ではないが、やるからにはきちんと、本音で語りたいと思っている。

 塾出身の区議会議員は80名を超えているが、今年の開塾式の時も、特に新人議員が張り切って来ていた。よっぽど嬉しいと見えて、様々な抱負を私に熱っぽく語りかけてきた。彼等は、とても初々しいし、顔も輝いていて魅力的であった。
 ただ、中には嬉しさのあまり、誤解を招きかねない発言や、過度に自信を持ち過ぎているような感じもないわけではない。そんな時は、つい黙っていられなくて厳しい小言を言ってしまう。
 
 「今度の選挙で2000票集めました。こんなに私を信頼し理解してくれる方がいたと知って、感激しました。」
 「君ねえ、2000人の人が信頼し、理解してくれたというが、本当に君を直接知っている人なんて、そんなにいる筈はないよ。君のことを十分に知り、確信をもって投票した人なんて、その1割か2割ではないか。その少ない理解者が、君のことを必死に宣伝し、頼んでくれたから多くの票が集まったのだ。もしかしたら、新人だから、珍しいから、あるいは若いからと、それだけで入れてくれたのかもしれない。そのことをきちんと自覚して、謙虚に努力することが必要だと私は思う。本当に真価が問われるのは、4年後の次の選挙だ。しっかり頑張れ」

 「初めての議会で、早速質問に立つことになりました。ベテラン議員に負けないようにやるつもりです。ご期待ください。」
 「最初から、期待なんかしないよ。張り切る気持ちは分るが、ちょっと早すぎるのではないか。もっと、じっくり勉強し、本気で何をしたいのかを確認し、きちんと整理して臨むべきではないか。」
と、まあこんな具合なのである。

 若い人たちにとって大事なことは、「初心忘るべからず」ということだ。
 このことを説いたのは、室町時代の能の完成者といわれる世阿弥だが、そんなことを知っている若い人はまずいない。
 奈良・平安時代に興った田楽や猿楽は、いわゆる農民や庶民の芸能で、身分卑しい者のすることであった。だから室町初期の頃までは、公家や僧から馬鹿にされていた。
 将軍足利義満の庇護のもとで、能として仕上げたのが観阿弥だが、以来、能は文化芸術として、上位の人達から持て囃されるようになった。
 世阿弥はこれらをまとめ上げ、「風姿花伝」を世に残した。
 「初心」とは、単に思いたった心ではなく、確信をもって「志」となった時を「初心」と言うと世阿弥は説いている。
 志すとは、成し遂げようという目標を心に決め、その意気込みと謙虚さを持って事に当たっていくことなのである。

 中国の言葉に「志ある者は、事、意(つい)に成る」とある。やり遂げようとする固い決意があれば、どんな困難があっても必ず成功するという意味だ。
 一方で、「志は満たしむべからず」ともある。
 すべての事柄について、完全に満足いくまで求めようとする考えは捨てるべきだということである。望みは限りなく広がっていく。言葉を代えれば、慾というものは際限がない。だから限度を自ら考えなければならないということである。
 一見、矛盾しているようだが、この二つの言葉を新人議員はかみしめることが大事だと思っている。

 予断だが、特に、菅首相には、後半の言葉こそ拳拳服膺してもらいたい。ひょんなことから、彼は総理大臣になった。あり得ない幸運を拾ったのだ。
 しかし、すぐにその任にはとても及ばぬということが明らかになった。しかも彼の職責には国家国民の命運がかかっている。今や、限度を超えている。直ちに自ら辞めなくてはならないのだ。

 今、新人議員の心は、希望に燃えて大きくふくらんでいる。それはいいことなのだが、ともすると、気がはやって、突っ走る傾向もある。
 その地域の為にしっかり働くためには、ここはどっしり腰を落ち着かせて、学ぶこと考えることが必要と、気づかせることが大事だ。
 また、彼らが真剣に努力していても、世の中全てがうまくいくわけもないから、時に挫折することが必ずある。そんな時、これをどう乗り越えればいいのか、その覚悟や忍耐を身に着けさせることも大事だ。
 こうしたことをきちんと教えるのが先輩の役目なのだが、その役割を果たしている先輩は、今の時代少ないのではないか。
 「今の若い奴は」と陰で眉をひそめて言う人は多い。しかし、直接注意するにはそれなりに勇気がいることだから、なるたけ面倒なことは避けよう、直接自分に迷惑が掛からないなら、見て見ぬふりをした方が無難だと考える人が多いのではないか。 
 新しく地方議会に躍り出た人たちは、今の自民党を考えれば、大切な存在だ。私から言わせれば、まさに宝だ。しかし、まだ本当に研磨されている訳ではない。この人たちを、きちんと磨き、真に役立つ人材に育て上げること、つまり本物の「宝もの」にして世に送り出すことは、私たち先輩と言われる者の大事な役目だ。
 私のお役目を立派に果たそうと、この頃思うことしきりである。