言いたい放題 第171号 「わが政経塾6期スタート」

 5月31日、TOKYO自民党政経塾の第6期入塾式を行った。
 開塾以来5年間、100人定員をいつもオーバーして常に満員の大盛況であった。今回は、統一
地方選挙が終わったばかりだから、若干減るのではないかと思っていたが、なんと応募者は170人を超えた。
 私は全員入塾OKと言っていたのだが、多少ふるいにかけて163人の新入生を迎えることにした。八木事務局長の話によれば、今回の地方議員の当選者で、これから入りたいという人があと10人程度いるとのことである。そうなるととても収容できないが、まあ、途中でいくらかは減るだろうから、みんな入れることにしようと思っている。

 私が通産大臣を終えた後、雷門の事務所で深谷政経塾を開いて、60人ほどの塾生を教えていた。
 3年目になって、そこに自宅を建てようと考え、さて塾の場所を何処にしようかと思案していた。丁度、そんな時、自民党都連の内田茂幹事長から依頼があって、この塾の設立となったのである。
 最初から私のパートナーとして、塾長代行になってくれたのが娘婿の小田全宏君であった。自分で言うのも変だが、私と彼とのコンビは絶妙で、おそらく当代、この組み合わせの右に出るものはいないと思う。(大勢の人からもそう言われている)何故か打ち合わせもしないのに、お互いの講義の中身がいつも連携しているようなのだ。後述するが今回もそうであった。

 こうした会は、往々にして最初は良いのだが、なかなか順調に続くものではないと言われている。なんといっても、政治の世界だから、浮き沈みも激しいく、現に自民党は野党に転落している。
ところが、わが塾は年々勢いを増している。わが塾はそんなことに左右されない。
 志を抱き、人生を真剣に生きようとする若者は多いが、そんな彼らを受け止め、支え育てる場所はあまり無いのが現状である。だから、この塾が評判を呼び、今や国会議員はじめ色々な人からの紹介状持参で入塾を申し込む人も多くなった。
 勿論、自民党に寄せる期待も、未だに根強くあるということだから、こうした若い人たちの心を一層大切にしなければと思っている。
 ちなみに、今度の地方統一選挙の結果を記すと、5期生で42名立候補し31名当選した。当選率は72%である。第1期から4期までで49名出馬、41名が当選、実に84%の当選率であった。この5年間で市長も含めて延べ87人の塾生が活躍している。参議院議員になったものもいるが、どうやらこの塾は、地方議員輩出のメッカになりそうな気配である。
 未熟なまま、いきなり国会議員になって、かえってこの国の行方を混乱させる議員が多い中、地を這うように努力し、地域発展のために尽力する地方議員を、むしろ、しっかり育てる方が意義があると私は思っている。
 塾生すべてが政治家志望とは限らない。世の中の立派なリーダになろうと、自ら研鑽練磨する為に参加している人も多い。
 ともかく、こうした塾生の心意気を大切に、彼らとの交流を無上の喜びとして、又1年共に学びたいと思っている。

 今回の小田君の最初の講義では、いわゆる学習の在り方と、この塾を通じて良き友を得ることの大切さを強調していた。
 白板に、「傾聴」−「気づく」−「行動する」―「振り返る」と書いて話をしていた。
 次の私の出番では、「その文字は消すな」と指示し、その言葉を使って別の角度から話をつないだ。
 実はこの日、今度の選挙で初当選した人も敗れた人も、塾生として共に出席している。
 当選した人の中に、もうすっかり議員になったと、その気になっている者もいて、私は思わず「まだ10年早いぞ」と言った。今一番大事なことは謙虚さなのではないか。静かに自分を「振り返る」ことを知って欲しと諭した。
 敗れた人は、その反対ですっかり意気消沈し、なんとなく悄然(しょうぜん)としている。今、君たちに必要なことは、何故敗れたのか、足らざるところを静かに「振り返る」ことではないか。戦いには時の運ということもある、次の機会もあるのだから頑張れと檄を飛ばした。

 この日の為に、私は論語の一部を自らワープロで打って塾生に渡していた。

 子曰く、学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。
 朋(友)有り遠方より来たる、亦楽しからずや・・・・。

 特に、「朋有り遠方より来たる」を、単純に遠くから来た友人と解釈してはいけない。前段のように、機会あるごとに学んだことを復習しわが知識として身につけ、自分の身がおさまれば、自然同志の者もでき、共鳴者もできる。それらの人が遠方から来てくれたら、これも楽しいことではないかと理解すべきだと教えた。
 論語が日本に入ってきたのは西紀285年のことである。なんと日本最古の古事記より427年も前だ。日本人が最初に手にした書物である。
 以来、およそ1700年間読み続けられてきたが、それは論語の内容が、いつの時代でも通用する、適切中正で簡潔平易だからである。

「論語を知っている人」と尋ねると全員が手を挙げた。
「論語を読んでる人」、返事は極端に少数だった。
「これから時々論語を語ろう」と言ったが、「これは少々手がかかるな」と秘かに思ったものである。