かねてから依頼を受けていた大阪にある関西大学の講義を無事に終えてホッとしている。
 5月27日朝8時、東京駅を出発、大学で経済学部長、教授らと昼食を共にし、1時から大教室で1時間半熱弁をふるい、終わるや待ち構えてくれた大阪の友人、松本さんの車で一路京都へ。かなり疲れていたが、健康のためにも商店街を1時間散歩、そして、今回の目的の一つ、寺町三条にあるすき焼き店「三嶋亭」にあがった。
 ここは明治6年創業の130年続く老舗で、小説などにもよく出て来る、女房に言わせれば一度は行きたい有名店だ。
 江戸っ子の私は、亡父直伝のすき焼きの作り方が得意だが、京都の作り方は独特で、熱した鉄鍋に、いきなり砂糖を入れ、そのまま最上の肉をのせて、この店伝来の秘蔵のタレをかける。
 溶いた玉子で食べるのは同じだが、その味のすばらしさは、まさに筆舌も及ばぬといった塩梅である。
 今回の講義の手配をしてくれた産経新聞の巽記者(この人は私が通産大臣時代の番記者)と、気のおけない人達だけに、談論風発、途中仕入れた持ち込みのワイン(なんとオーパスワン)をたちまち2本も空ける勢いであった。
 「帰りの電車は京都発9時8分、あと1時間ちょっとしかなかったが、「一力」裏のミュージックバー「とも」へ直行。このマスターはギターでラテンものを歌わせたらまず右に出る人は居ない。
 私の個人的催しにもギター片手に京都から駆け付けてくれるが、酔った私とのやりとりが絶妙ともっぱらの評判なのだ。
 一人一人が得意ののどを披露して、たちまち時間いっぱい。タクシーで駅に駆け付けようやく新幹線に間に合った。

 ところで肝心の講義だが、大教室に学生と一般人を含めて、ざっと300人、毎週行われている中東講座では、もちろん一番の大入りである。
 私のテーマは、2000年1月、通産大臣として、アラビア石油の契約更新のために、直接現地に乗り込んだが、その折の顛末を語るというものであった。
 すでにその頃、サウジアラビアの基本的方針は、外国による採掘は一切廃止して、全て国営にするというものであった。
 かの地の石油を最初に発見し、サウジを今のように隆盛に導いたアメリカの会社も、とっくに接収され、それが現在、一手に独占しているサウジアラムコ会社である。
 そこで彼らは、日本に対して鉱山鉄道を建設し、その維持も含めて、全ては日本が行い、最後にはこれを贈与せよと無理難題を提案してきた。
 建設費は約2310億円、維持費は毎年110億円、これを25年も続ければ5000億円を超える負担になる。
 我々は5000億円にのぼる資金を国際協力銀行から融資させ、利子補給を行うと好条件を提案したのだが、相手は一歩も譲らない。
 アラビア石油は、日の丸石油といって、日本の資金で採掘に成功し、40年続いた会社で、いわば日サ友好の象徴ともいうべき存在なのだが、一民間企業である。
 その契約更新のために、莫大な血税を使う訳にはいかない。最後は、私は「NO」という決断を下したのであった。
 ただ、その時、最も重視したのが、日サのこれまでの良好な関係が損なわれないようにするという点である。
 日本にとって、アラ石からの石油量は、全輸入量の3.5%にすぎない。日本での消費の5%程度だ。
 しかし、当時、日本へのサウジからの輸入量は、アラブ首長国連邦(UAE)に次いで2番目に大きく、この関係を継続させることは、日本にとって絶対条件ともいえた。
 私はこの点に関しては、アブドラ皇太子(現国王)やナイミ石油資源大臣との直接交渉で、大丈夫だと確信を持っていた。
 契約更新の交渉は決裂したが、あの頃必死で努力したことが大成功であったことは、今日の状況を見れば明白になっている。

 現在、日本とサウジとの関係は一層良くなっている。両国首脳の相互交流や、経済文化面、人材育成計画などいずれも順調である。
 なによりも、石油輸入量はさらに大きくなっている。
 すなわち、当時トップであったUAEと入れ代わり、サウジの日本の輸入量は3割を占めている。
 サウジによって、独自での鉱物鉄道と旅客路線は実現の方向にあり、全長2419㎞の鉄道が2013年までにいずれも開業予定となっている。日本の三井物産も発注を受けている。
 もともと1973年の石油ショック以来、サウジは巨大な黒字財政になっていて、自国で何でも出来る体制であった。
 何のことはない、あの時うっかりしていたら、まんまと日本の血税で鉄道建設の肩代わりをさせられるところだったのである。

 今、日本では、大震災以来、原子力発電についての危機感が広がり、新たなエネルギー問題が起こっている。
 私自身は、菅総理の、例えば浜岡原発停止や一連の方向転換ともみえる軽々しい発言には眉をひそめている。世界の動きを見ても、原発の存在をただ否定する状況ではない。
 何故、安全神話が崩れたのか、本当の安全性をより科学的に確保させるなど、そこをもっと究明していく必要があるのではないか。必要性と危険性についての熟議が為されないままの方向転換は、世論に迎合するだけで、将来の日本にとって必ずしもプラスになるとは思えない。

 1時間半という長い講義が終ると、一斉に盛大な拍手が起こった。一般に授業が終って拍手など起こる筈もない。嬉しかった。
 学部長等と控室に戻る為、エレベーターに乗ると、「握手して下さい」と何人かの女学生が手を差し伸べる。
 昔、どこかでこんな風景があったと思い返すと、かつて中国の北京大学などで講義をした折、そんな風景があった。
 ある日本の週刊誌で、「中国美人女子大生に聞く」と題した「知っている日本人の名前を挙げよ」とのテーマで、グラビア写真が載っていた。その中で、何とキムタクに並んで、深谷隆司の名前があってちょっとした話題になったこともある。はからずも関西大学で、歳はとっても、まだまだ女学生に人気があるぞと、一人秘かに満足したのであった。

 あわただしい一日だったが、仕事とちょっとした遊び心を満たしてくれた、私らしい素敵な日帰りの旅であった。