言いたい放題 第166号 「うれしいこころ」

 朝食をとって2、3時間して、急に胃に痛みを感じ、しばらくするとパンパンに膨張した感じで我慢できなくなった。やむなく女房と豊島にある山口病医院に直行した。
 血液検査、CT撮影、そして2時間も点滴を打って、ようやく落ち着いた。
歳を重ねると、いままで何でもないものにアレルギーを起こしたりすることがあるらしい。
 この病院の山口明志先生ご夫妻とは、折々、食事をしたりと、長いお付き合いで、家族も含めて何かあるとまず診察をお願いする。
 一番頼りに出来る、私が勝手に決めた主治医である。いよいよ、大変な時、例えば七年前の大腸癌の手術のような場合は、杏林大学病院の松田博青先生に委ねる。頼れる医者の存在ほど大切なものはない。
 今回の検査の結果は、どう考えても良い筈がない。今夜あたりから断酒と覚悟を決めていたのだが、なんと、どれも百点満点という。先生や女房も驚いたが、一番びっくりしたのは私自身であった。
 5月の連休以来、暴飲暴食が続いていて、そろそろ、どこかで歯止めを掛けなければと思っていた
丁度、色川武大の「寄席放浪記」や「なつかしい芸人たち」を読み終わった時で、売れた芸人達の行末が、糖尿病や肝硬変で亡くなる場合が圧倒的に多く、私はどこかで不安を抱いていたのである。
 一番の心配は血糖値とガンマーGTPだ。これはお酒の影響がモロに出るのだが、なんといずれも合格だ。肝臓に関する数値、GOT、GPTなども全部正常値、CTの所見も異常所見なしである。
 一体、なぜこんなに数値が改善されたのだろうか。よく歩いているが、もしかしたら最近、また始めたタップダンスの練習の成果かもしれない。
 その夜、もちろん仕事がらみだが、東京タワーの下にある「とうふ、うかい亭」で会食会があり、私は安心して痛飲したことは言うまでもない。

 ちなみに、山口病院では、一時間ドック検診というのを始めている。
仕事の忙しい人の為に、採尿、採血、心電図、CTによる全身断層撮影などを次々に行い、わずか一時間で結果を出すのである。
 ある時、孫が急病になって救急車に乗せたのだが、さてどこの病院で扱ってくれるのか、随分時間がかかった。ようやく受け入れてくれる病院に着くと、まず、「一日数万円の個室でいいですか」と聞かれ、その上、びっくりするような額の預り金を要求された。預り金はどこでも普通だが、あまりに高い金額だったのだ。
 山口病院は救急労災指定病院だが、そんな無茶なことは言わない。なによりも患者の親身になって考えてくれる。もっとも良心的な病院だと私は思っている。
 ただ、今の国の医療行政に問題があって、こうした中堅の、いい病院が経営に行き詰まって、次々と姿を消しつつあるというのが現状なのだ。
 私が、今現職なら、こうした問題に精一杯取り組めるのにと残念な思いである。
医療法人社団 育生会 山口病院  豊島区西巣鴨1の19の17
                     電話 3915−5885

 近頃は、各団体の総会が花盛りである。全てに顔は出せないが、日ごろお世話になっている会には、出来るだけ出席するようにしている。
 21日は、ビューホテルで開かれたスポーツ用品協同組合と文京区のラジオ体操団体と、何か所かまわって、7時半、白山に在る餃子屋「三幸園」(白山5−33−19 3816−1684)に寄った。
 あらかじめ声をかけていたので、中屋都議会議員はじめ文京区の仲間たちが待っている。
十人も入ると満員になる小さな店だが、夫婦二人だけで切り盛りして、手も早く、レバニラ炒め、中華そば、特に焼き餃子は天下一品だ。
 
 昔、もう30年も前のことだが、握手戦術で、この旧白山沿いの道を登りながら選挙運動をしていた。
 丁度、都営地下鉄線白山駅入り口近くの角に三幸園があって、その壁に私のポスターだけが一枚、如何にも大事そうに貼られていた。
 嬉しくなって思わず店に飛び込むと、如何にも好人物の夫婦が、満面の笑みをたたえて私を迎えてくれた。
「この選挙で当選したら、私は必ず大臣になる。まっ先に大臣としてこの店に来ます」
 相手もびっくりしたと思うが、今考えれば、随分大胆なことを言ったものである。
 やがて当選を果たして、私は海部俊樹内閣で、予定どうり初の郵政大臣になった。SPや秘書官を引き連れて、凱旋将軍さながらにこの店に乗り込んだものである。
 54歳、まさに働き盛り、涙が出るようななつかしい思い出に残る1ページなのである
 
 店には往年の美男力士?元神幸親方が待っていた。彼には声をかけていなかった。たまたまこの店で食べていて、後で深谷が来ると聞いて、ずっと待ってくれたのである。
 その時、同席していた田中善彦さん(かってこの地域で私の後援会長であったが、残念ながら今は高輪の方へ越している)が、なんと酒代まで置いていっくれたというではないか。

 にぎやかに話が弾んで盛り上がった。
「俺もこの頃、だんだん物忘れが激しくなって、この間など、好きなカラスミの名がどうしても浮かんでこない。深夜だったが、何とも気になって眠れない。確かイタリアンパスタの本に書いてあったと、一階の書斎まで降りて行って確かめた」
 そんなことを話していたら、一人のご婦人が、突然、カラスミを持ってきてくれた。
 一昨年の選挙の時、この店の手前に私は事務所を構えた。その大家さんが菅野裕良さんだが、今夜の会に呼んでいた。
 今の私の話を聞いて、直ちに連絡して、わざわざお母さんが届けてくれたのであった。

 次々と出される熱々の餃子の美味に舌鼓身を打ちながら、剣菱の銘酒を生でぐいぐいと呷って、なにしろ気の置けない仲間たち、まさに与謝野鉄幹の詩にある「痛飲三斗この一夜、いまだ酔わずと笑いつつ・・・・」であった。
 
 帰り際に、「お勘定を」と言うと、「菅野さんから頂きました」という。
 私は、たいしてお金もない時代から、いわゆる下町気風で自分で払うことが当然と思ってきた。彼の細かい配慮に、なんだか胸がじーんとしたものである。
 何年も前に、義父が96歳で逝ったが、酔うといつも「うれしい心」と言うのが口癖であった。
 この夜は、まさに私にとって「うれしいこころ」であった。