言いたい放題 第164号 「私心無し」

 十一日のテレビに映る、天皇皇后両陛下の避難所の人々を見舞うお姿に、思わず目頭が熱くなった。
 この日は、原発50キロ圏内の相馬市中村第二小学校や福島市のあずま総合体育館を訪ねられた
 大震災以来二か月、心身ともに傷ついている避難民の下に、皇室ご一家は度々お見舞いに訪れている。
 秋篠宮ご夫妻もそうだが、皇太子ご夫妻、特に雅子様のご訪問には心が和んだ。長らくご病気のため思うように公務を果たすことが出来なかった。そのために心無い批判の声も起こり始めていた。
特に大勢の人前に出て、カメラや報道陣に注視されることが苦痛であったと伝えられていただけに心配であった。しかし、避難所で真摯にお話しなさるお顔は、とても表情豊かで、確実に回復されつつあるという印象であった。

 両陛下は、すでに七週連続で被災地や避難所を訪れていて、避難所のお見舞いは実に十一か所にのぼっている。
七十七歳、七十六歳というご高齢のうえ、この二月には検査入院をされている。美智子様も昨年、咳喘息や結膜下出血などで体調を崩されている。
 しかし、お疲れのご様子を少しも見せず、避難民の前に膝を屈して優しく接し、一人一人にお声をかけられる.その為に毎回予定時間が過ぎてしまう。
 避難民の中には、胡坐をかいて応対する礼儀知らずの人もいる。一応禁じられている筈の写真を撮ったり握手を求める人も多い。しかし、両陛下は一向に構わず、特に美智子様は自ら手を握られる場面さえあった。 
 比較するのは不遜だが、やっぱり、菅総理の訪問時の情景を思い出してしまう。
如何にも形式的でおざなりで、ほんの数人に声をかけただけでさっさと引き上げる姿に、ある会場では激怒して食って掛かる人まであった。
 両陛下は仰々しい警備を一切排して、時にはマイクロバスに乗られるなど深い配慮をなされ、しかも沿道の人々にも手を振り続けられた。

 皇室の歴史は千数百年に及ぶ。こんなに一つ王朝が続いたことは世界でも稀なことである。
 戦後は新憲法のもと、天皇は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」となられたが、常に国民の精神的バックボーンであることは間違いない。
 あの第二次大戦の終戦直後、米軍を中心とする占領軍が、最も恐れたのは日本人の反乱であった。
 ところが日本国民は、天皇陛下の詔勅に粛々と従い、他の国には決してない冷静さで、敗戦の事実を受け止め、黙々と日本の復興と発展のために努力したのであった。
 世界の国々から、日本の奇跡とまで言われた戦後の発展ぶりは、国民の叡智と努力、そして政治や行政の成果だが、その背景に皇室の揺るぎない存在があったからだと私は思っている。
 昭和天皇とマッカーサー元帥のツーショット写真はあまりにも有名だが、あの時、マッカーサー元帥は天皇が命乞いに来たと思っていた。ところが事実は逆で、天皇は御自分の一身を賭して、日本国および日本人を守ろうとしたのであった。無私の天皇のお姿に深い感動を覚え、以来、彼は天皇を崇拝し、日本に大きな信頼を寄せたという。

 大震災以来、二か月経つが、未だに11万5000人を超える人々が避難所で暮らしている。仮設住宅はわずかに8000戸しか出来上がっていない。これは阪神淡路の大震災の時と比べてあまりにも遅いピッチだ。
かの地に比べて、被災地の自治体の規模が小さいことや、何よりも津波という甚大な被害があったことを考えれば、一概に比較はできないというものの、それにしても対応の遅れは否めない事実だ。
 
菅政権で震災以来、二十を超える対策会議が作られた。しかし、数さえ多ければいいというものではない。むしろ、統率が全く取れず、かえって混乱を招くばかりであった。その上、世界的にも評価の高かった優秀な官僚を使おうとしない。一体何を考えているのかさっぱりわからない。わかるのはあれはパホーマンスだということか。
 
大震災以来、国内はもとより世界中から救援の手が差し伸べられている。世界からの支援は物心ともに膨大なもので、日本に寄せる世界の人々の熱い同情や期待の大きさを物語っている。
 しかし一方で、菅政権の稚拙な判断やお粗末な対応ぶりが世界中に伝わり、これでは日本の行方が心配、という声が定着しつつある。

 皇室の方々、とりわけ両陛下のお姿から、せめて「私心無し」ということが、今、菅総理に求められているということを知ってもらいたいと思うのだが…。
 やっぱり、無理かなあ・・・・・・。