地方選挙がすべて終わった
 私にとって、この結果はどうだったのか。
 少なくとも勝った負けたとは無関係、とは言わないまでも、ややそれに近い心境で、むしろ、ああ終わったなという感覚である。

 一番問題であったのは台東区の区長選挙であった。
 参議院選挙で二度敗れた保坂三蔵君から、突然、区長選挙に出馬したいといわれたのは昨年のことであった。
 当初はあまりに意外な申し出に、「それは無理だよ」といったものだ。
 なにしろ、現職区長に吉住弘君がいるではないか。しかも、彼の選挙で二度も私は選挙対策総本部長を務めている。いわば私が全責任を負って勝たせた区長なのである。
 保坂君は四十年前、私の下から区議会議員になり、今日まで深谷系議員を名乗ってきた。
 今回の選挙で、私にとって二人の直属の後輩が共に出馬して戦うというわけで、正直、困惑、迷惑といった思いであった。
 しかし、いずれか一人に絞らないわけにはいかない。散々逡巡した後、服部征夫都議会議員(自民党台東支部長)と相談して、やや苦肉の策だが、台東区の自民党党員党友による予備選挙を行うことにした。
 その結果、勝った保坂君を自民党推薦候補と決めたのだ。
 前半の地方選挙で九人の現職の知事候補が全員当選している。首長選挙で現職が強いというのは常識だが、決めた以上は「最大の努力はつくす」というのが私の生き方だから精一杯働いた。
 結果は吉住君の大勝となった。
 私にとって本当の相手は民主党である。民主党代議士の子息中山候補は一万五千票にも及ばず、二度目の落選となった。これは明らかな自民党の勝利である。
 私が応援した文京区の成沢広修氏、中央区の矢田美英氏は、ともに大量得票で当選した。 
 そんなわけで、私にとって勝った負けたは無関係と冒頭に書いたのである。

 区議会選挙は、わが陣営の圧勝といったところだ。
 台東区の場合、私の決断で出馬させた新人の鈴木純君が、なんと予想を超えてトップ当選、さらに望月元美君も入った。現職の議員も全員議席を守ってくれた。
 文京区では前回次点で泣いた森守君が初当選し、他の現職議員で区議会第一党を守った。
 中央区では、私が塾長の政経塾の愛弟子、瓜生正高君が上位で当選、これに新人富永一君、染谷真人君も加わり、現職議員十人で圧倒的な勝利で自民党王国を堅持した。
 三区とも即日開票だが、発表が遅れてすべて決まったのは夜中の十二時、当選した何人かの連中が深夜、私の自宅に訪れてくれた。一緒に杯を上げたことはいうまでもない。
 このパソコンは、朝六時から打ち出した。だからあまり寝ていない。
 そんな時、なんと吉住区長や松田後援会長からお礼の電話が入った。全く自然な感謝の言葉が嬉しかった「しっかり頑張って、良い区長になってください」と、私も心から言った。

 この道に入って四十八年、自分だけでなく他の人の応援も含めて、何回選挙をやってきたことか。そしていつも思うことは、選挙とはなんと難しいものかということである。
 日常活動と無関係、とまでは言わないが、議会で、あるいは地元でどんなに一生懸命働いても必ず勝つというわけではない。優れた人物だから選挙に強いというわけでもない。
 今度の選挙で、「みんなの党」から何人か初出馬したがほとんどが当選だ。はっきりいって地元に縁もゆかりもない人なのに、である。
 これが国政選挙となるともっとひどくて、時の政権党の人気不人気で、あるいはその領袖の人気如何で一気に風向きが変わってしまう。
 本来は、もっと候補者自身の政治活動や人物評価の延長線上に、選挙というものがあっていいのではないかと思うのだが…。真剣に努力した者、優れた人材が勝つというのでなければおかしい。

 この一週間、夢中になって三区を駆けづり回った。必死に応援して声を枯らした。何事にも本気で取り組み、どんな時でも決して手を抜かない、それが私の生き方だ。だから満足できる日々ではあった。
 しかし、「戦い済んで日が暮れて…」という古い歌ではないが、今、何とも言えない寂寥感が胸を覆い始めている。
 いつものことだ。

 そんな時、私を確かに支えてくれるのは家族である。私と一緒に一喜一憂してくれる。そんな妻や子や孫の存在が、私の心の支え、私の人生だとしみじみ思っている。
 さて明日から、どんな暮らしとなるのか。
 自民党政経塾は、六年目を迎えたが、今度も百人の定員をはるかに超え百七十人も集まっているという。
 まだまだ私を待っている人達がいる。さあ、元気で頑張ろう、思わず声を上げて立ち上がるのであった。