この大地震で大きな打撃を受けた日本は、これからどうなってしまうのかと、将来に大きな不安を抱く人は多い。
 当然のことではあるが、第2次大戦を経験し、戦後の不幸な歩みの中で、政治を志し、一貫してこの道を歩んできた私からいえば、これから、5年、10年と苦難の時代は続いたとしても、必ず立ち直って、むしろ、この大災害を契機として、新しい日本が力強く生まれると信じている。
 戦後、日本の経済は世界が驚くほど発展した。しかし、一方で、道義道徳心が次第に薄れ、かつての良き日本人の姿が失われつつあるといった思いがあった。
 深い絆で結ばれていたはずの家庭の崩壊も目立った。
 「地震、雷、火事、おやじ」といったものだが、その中のおやじの権限は著しく後退し、子どもを厳しく育てる環境がなくなった。
 子が親を殺したり、母親がパチンコに興じ、我が子を死なせてしまったなどといった悲しい事件が散見される。
 すでに亡くなっている百歳を超えるお年寄りを、生きているように装って、その年金を搾取した許せない親不孝な連中も何人か現れた。
 街にはマンションが林立し、隣は何をする人ぞとばかり、普段の交流が全く無く、亡くなった人が何日も放置されていた事件も続出している。
 互助の精神は希薄となり、家庭を愛する心、街を愛する心、まして日本を愛する心は一体どこへ消えてしまったのかと嘆きたい状況であった。

 ところが、この大災害が起きるや、すっかり失われていたと思われた、かつての良き日本人の心が、実は埋もれていたが失ってはいなかったということが次第に明らかになってきた。
 世界が恐怖の目で見ているあの福島原発事故、東京電力の重大な責任は別として、現場で働く社員や関係会社の人々の努力はなんと見事なものか。すでに被爆者も出ているという危険な環境の中で、まさに生命がけの日々を重ねているのである。
 逃げてたまるかの気概と、自分が守らなければどうなるのかという責任感が、彼らをそうさせているのだ。
 原子炉の冷却のために、自衛隊が空から、そして地上からはまず警視庁の人々が放水を始め、続いて東京消防庁のハイパーレスキュー隊が、更には、大阪などの緊急消防援助隊が加わって、必死の放水作業が連日連夜続けられた。
 一番不安で心配している筈の家族も、たとえば、妻から隊長宛に、「救世主になって下さい」とメールを送るなど、ひたすら世の為国の為と声援を送っていた。石原都知事は、家族の方々に申し訳ないと絶句し涙を流したが、私も泣かされた。

 被災された現地の人々、原発危機で退去を余儀なくされた人々は、不自由な避難所で、帰るあてもなく暮らしている。
 普通なら、当然、不満が爆発してもおかしくない状況の中、、だれも恨まず、ささやかに配達される品を受け取ると、「ありがとうございます」と率直に感謝の言葉で頭をたれる。
 援助物資を奪い合い、殴り合う外国の光景を見慣れているだけに、なんとこの冷静さはと驚かされる。
 被災地の中で、自分の身内も被害を受けているのに、お互いに力を合わせボランティア活動をする人も多い。
 全国からの援助も素晴らしい。募金活動も活発だ。
 こんなに日本人が一体となって、苦労している人々に思いを寄せ、なんとかしなければと心を一つにし、助け合おうとした時があったろうか。日本の行方を心配し、自分に出来ることは何かを真剣に考え、行動したことなど、少なくとも戦後ほとんどなかったといっていいのではないだろうか。
 世界の国々が、こうした日本人の姿を評価し、称賛し、やはり日本は礼節の国と称えてくれたが、不幸な状況の中だが、嬉しいことである。
 どうして日本はこんなに愛情あふれた、一致団結する国なのか、と米の新聞に書かれていたが、私は、「日本人だから」と少し躊躇しながら答えたい心境だ。
 失われた日本人の良き心がよみがえったのではなく、実は潜在的なもの、心なくも埋もれていたものが、この悲劇的災害の時、マグマのように表面に現れたということなのではないか、そう信じたいと私は思っている。
 愛国心という言葉は、もはや死語だという人もいたが、決してそうではないのだ。これを機会にこうした日本人の心をもっと確かなものにすることこそ、最も大事なことだと私は思っている。
 次回は経済的復興は可能なのか考えてみたい。