昨年、秋の叙勲で、昔でいえば「勲一等旭日大綬章」という立派な栄に浴すことになったが、後援会を中心に今各所で、叙勲祝賀会を開いていただいている。
 去る三月四日は、浅草ビューホテルで、台東区祝賀会が催され、約五百人の方々がつめかけた。本当にありがたいことである。
思えば政治家として、随分長い道のりを歩いてきたものである。二十七歳で台東区区議会議員に当選して以来、なんと四十八年の年月が経っている。
 
 祝賀会で、私は、中国の古い物語を引用した。「一炊の夢」という話である。
 その昔、唐のある青年が自分の不遇をしきりに嘆いていた。いくら努力しても一向に報われない・・・と。
 それを聞いた道志が、「この枕を使いなさい、きっと栄耀栄華が得られる」と言った。
 道志の枕を借りて寝たところ、美しい崔という名の名家の娘に出会った。やがて二人は結ばれるが、これが縁で青年は次々と幸運に恵まれて出世し、栄耀栄華を極めることが出来た。
 しかし、ふと目覚めると、それは全て儚い夢であった。人生一代の栄華の夢を見たのだが,覚めてみれば、眠る前に炊いた粟が、まだ炊き上がっていなかった。
人間一生の栄枯盛衰は、一場の短い夢にすぎないということなのだ。

 私の郵政大臣時代の部下に、小野沢氏という人がいた。定年退職して何年かして私に手紙をくれたが、そこに「人生は短いのではなく,早いものです」と書かれていた。 
 今、私は本当にそうだと改めて思っている。
そして、だからこそ、限られた私の人生を愛おしく思い、日々を大切にしなければと思っているのだ。

 中曽根康弘先生の句に、「暮れてなお、命の限り,蝉しぐれ」というのがある。
蝉は卵から、実に七年も地下で眠っている。ようやく生まれ世に出てから、なんと一週間か二週間で死んでしまう。だから必死で命の限り鳴きつづけるのだ。
 中曽根先生は、たとえどんな立場になろうと、政治家として、国の為、国民の為に、生涯、語りつづけ訴え続けていきたいと、願いを込めてこの句を詠んだに違いない。
 私もかなり歳を重ねてきた。これからどんな人生が待っているかわからないが、この愛する日本の為に、私を育ててくれた地元の為に,精一杯語り続け、訴え続け、働きつづけていきたいものだと会場の参加者に話した。

 私の叙勲は、私の政治家としての歩みを評価してのものとは自負しているが、当選しなければ何もできないことで、これは私を支え応援してくれた人々のお陰であることは言うまでもない。すでに物故された方たちも含め、全ての応援者に心から感謝していると、私の胸の内を率直に語った。

 叙勲祝賀会は、私たちの感謝の会と心得て、精一杯サービスしようと妻と語っていたが、この夜の宴では、電通の息子の後輩内田君を招いて、大マジックショウを披露してもらった。もちろん、手品が自慢の私が参加したことはいうまでもない。
 
 今後,同じような催しは、三回行われる。
 三月十日は私自身主催でホテル・ニューオータニ、三月十四日は中央区のロイヤルホテル、三月二十九日は文京の椿山荘でいずれも後援会中心の祝賀会である。
 あわただしい、苦労の絶えない日びだが、この三月はこころ楽しい月である。