言いたい放題 第134号 「テレビ出演騒動記」

 久しぶりにテレビ取材の為、十五日午前中、自宅に大勢のスタッフが訪れた。テレビ朝日のスーパーモーニングだ。内容は例の大相撲八百長事件である。
 私は昔から相撲が大好きで、野球賭博事件も含めて、この「言いたい放題」で、散々語って来た。さすがテレビはそのことを知っていて、私への取材と相成ったのである。

 まず聞かれたことは、現在も私は松ヶ根部屋の後援会会長を務めているが、どんな出会いからかという点である。
 思いかえせば、今から十二年まえのことだが、松ヶ根部屋の創立十周年のお祝いの会が、浅草ビューホテルで開かれた。
その頃、私は中曾根派に属していて、今は亡き山中貞則代議士に可愛いがってもらっていた。
 その人が当時、松ヶ根後援会の会長であった。松ヶ根親方(大関若嶋津)は、種子島の出身で、南海の黒豹といわれて大関まで登りつめた人気力士だった。山中先生は、同じ鹿児島県の出身で、彼が新十両になった頃からの応援者であった。
「君の地元のホテルでの催しだから、是非、出席してやってくれ」と言われて出かけた。
 ところが、その時、なんと「今度、後援会の会長になられた深谷先生です」と、いきなり檀上で紹介されたのだ。
 一瞬、驚いたが、いかにも山中先生のやりそうなこと、そのまま応じて、以来、なんの躊躇もなく今日まで会長職を続けているのだ。
 力士わずか10人前後の小さな部屋で、私が引き受けてから十両になったのは二人だけだ。そのうえ今度のように、松谷関は事件に巻き込まれて転落、その後、全勝優勝して、もう一場所で勝てば戻れると思ったら、大阪場所は中止となってしまった。
 全く、いいところがない。
 松ヶ根親方はひたすら優しい遠慮がちな人で、だから弟子をあまり厳しく指導しないのかもしれない。
 スターの座を見事に捨てて、部屋のおかみさんになりきった高田みずえさんは、一生懸命に親方に尽くしている。
 そこのところを強調した。
総理大臣杯授与.jpg

 元の国技館は蔵前にあって、当時の私の事務所の裏にあった。 
 懇意にしていた先輩代議士に稲葉修先生という方がいた。この方は話題の風流人で、相撲をこよなく愛し、横綱審議会の委員をつとめていた。
出羽の海理事長(佐田の山)、春日野親方(栃錦)、二子山親方(若乃花)達と格別親しく、よく駒形のどぜう屋や、浅草の料亭などで飲んでいたが、私も誘われて何度もご一緒したものだ。
 出羽の海理事長は、改革に熱心で、暴力団と絶縁する為に地方巡行の勧進元興業を止めさせ、協会の自主興行に変えたり、高値をよんで問題になった親方株を協会に委託させようとしたり、外国人力士を各部屋二名に制限する等、様々な成果をあげていた。
 その頃の私は三十台の働き盛り、後援会も勢いがよくて、浅草にあった東洋一の国際劇場を借りきって、一万人の集いを開いたりした。それでも足りずに、ついに昭和50年蔵前国技館で一万五千人の集会を行った。国技館で後援会大会を開いたのは、後にも先にも私一人だ。
蔵前国技館深谷の集い.jpg

 稲葉先生が亡くなった時、葬儀に出る為に出羽の海理事長と一緒に新潟まで出かけたこともあった。
 余談だが、私が横綱審議会委員に推挙されるという動きが一時あった。しかし、丁度、海部俊樹元総理にも推薦の声があって、結局、二人とも就任することはなかった。
 あの時、私が引き受けていたら、どんなふうに対応していただろうか。きっと色々な提言をして、すくなくとも今よりは改善させていたに違いない。

 相撲との縁は深い。
 昭和五六年から、フジテレビの正月番組で「大相撲対野球オ―ルスター歌合戦」という番組が始まって、私が大会委員長になった。途中から更に「大相撲部屋別対抗歌合戦」も始まって、ここでも大会委員長となった。正月早々、テレビで挨拶できるのだから、こんないいことはない。
 いずれも人気番組になって、一方が実に十七年、もう一つが十三年も続いて、平成十年に終了した。
 あの頃、力士や野球選手はスター揃いで、その上、歌の上手な人が多かった。
 大関琴風はレコードをだして、「まわり道」は五十万枚も売れた。おなじ大関増位山も、「そんな夕子に惚れました」でヒットを飛ばしていた。
 野球選手では平松政次は「愛して横浜」で人気を博していた。ちなみに彼の後援会会長は松本隆三氏で、今は私の親友と呼べる人になっている。
 この時代、私は度々招かれて色々な番組に出演していた。政治家としての討論会は当然として、「国会議員歌合戦」で優勝したこともある。イレブンPMという深夜番組の常連でもあった。
 今だったら、政治家がそんなことをしてと、目くじらを立てられるに違いない。
大らかで、なごやかな時代だった。いい時代を過ごせたものと改めて思っている。

 政治と相撲との関わりについても聞かれたが、元々、大名のお抱え力士制度からはじまっている。明治維新の廃藩置県で大名制度が無くなって、一時期、相撲史上逆境の時代もあった。しかし、徐々に人気が回復して、明治四十二年には、一万三千人も入る屋根付きの両国国技館が建てられて、完全に息を吹き返した。国技館と名づけたのは、命名委員長の板垣退助であったというのだから、なんとも政治家との関わりは古い。
 大正十四年、日本相撲協会は財団法人となった。
相撲が国技という法律上の規定はない。国技館という名称や、財団法人として文部省の所管になったことで、この名が定着したのである。

 今度のテレビ取材の狙いは、八百長問題について、どう思っているのかだと考えて、この点については特に力を入れた。本当は違っていたが・・・。
 作家の故宮本徳蔵氏は、「八百長は人情がらみの因習だ」と喝破している。相手に同情し、頼まれてもいないのに勝ちを譲る。観客は苦笑しながらこれを見つめている。
 そんな微笑ましい大らかな時代から、いわゆる八百長は始まっているのだ。べつに肯定している訳ではないが、そんな余裕のようなものが、相撲の世界にあってもいいのではないかと私は思っている。
 そもそも相撲は純粋にスポーツといえるのか、かなり娯楽の部分が多いのが実際だ。
昔のままにチョンマゲにフンドシ姿、かつてハワイからの初の外人力士となった高見山は、裸でまわしを締めた時、恥ずかしくて堪らないと語っていた。

 相撲見物の客はといえば、桟敷で豪勢に飲んだり食べたり上機嫌で盛り上がる。そのサービスの為にお茶屋があって大繁盛なのだ。
 幕内力士の勢揃い、雲竜型、不知火型といった伝統的な横綱の見事な土俵入りなど、まるで歌舞伎をみるようで、まさにこれは日本の伝統文化といってよい。 
 そんなスポーツは他には存在しない。やっぱり、勝ち負けだけのスポーツとは決して同じではないのだ。
 大事なことは、相撲には相撲道という立派なルールがあるという点だ。神道に基づいた儀式と心構え、そしてなによりも大事なことは武士道精神だ。武士道で大事なことは強さだけでなく、優しさ、正義感、惻隠の情、さらに恥を知るということだ。
 当然、横綱にはその立場に相応しい品格が求められる。野球賭博や、まして暴力団のような中盆までいて、お金のやり取りまでする八百長など、断じて許されることではない。
 今まで、こうした八百長疑惑はたびたび言われてきた事ではないか。
放駒理事長の「過去には一切ありませんでした」の発言は全く通用しない話だ。
 ただ、不思議なことは、司法の決着はいつも相撲協会側が一方的に勝ちで終わっていることだ。疑惑を書いた週刊誌などは裁判で負けて、その度に賠償金を支払い、訂正記事まで書かされている。
 今回は、メールなどの具体的証拠があったので、講談社は相撲協会に強硬な対応を求め、応じなければ、裁判詐欺で訴えると主張している。当然のことだ。
 八百長は相対する力士との阿吽の呼吸で決まるから、判定はなかなか難しい。
しかし、今度こそ具体的証拠があるのだから、断固として敏速に処分することが必要だ。ずるずると時間をかけてはならない。早く黒白をつけて、二度とこのような不祥事が起こらないような体制を作り上げなければならない。
 先に述べたが、人情がらみの八百長まで取り締まることは不可能だ。要はどこで区別をつけるのかが問題だ。私は「常識」という名の線を引くしか無いと思っている。
 どちらかというと、相撲界は社会から隔離された閉鎖社会で、力士達の社会常識は一般的に低い。
 中学か高校生から、いきなりこの世界に入るのだから無理もないのだ。親方達も同じようなものだ。
 これから一番大切なことは、如何に社会教育を学ばせるかということだ。理事長を中心に相撲人全体の教育制度を、一日も早く確立させなければならないと私は思っている。

 最後に聞かれたことは、これからの政治と相撲との関係についてであった。
 どうも最近、文部科学大臣や行政刷新担当大臣の発言が目立っている。「このままでは、公益法人化は難しい」などと、所管大臣が余談をもって語っているが、これはおかしい
 公益法人化が出きるかどうかは、相撲協会にとってはまさに死活問題である。公益法人であれば、公益事業は非課税だし、一般法人税は三十パーセントなのに、二十二パーセントと優遇処置を受けられる。
 なによりも公益法人は、「国技」という名のお墨付きでもある。仮に公益法人にならなければ、天皇杯も、内閣総理大臣杯も無くなる。
 様々な優遇処置で築いた資産が、公益の為に使われないとなれば、あの国技館も国に没収されかねない。四百四十二億円といわれる正味財産もどうなるかわからない。監督官庁が無くなるから、何の束縛もなくなるが、これでは消滅するかも知れない。
 こうした背景から、政治や行政、とくに政冶家の発言に協会は恐れをなしている。
言い換えれば、だからこそ、政治家は、大向こう受けを狙って軽々に口をはさむべきではないと私は思うのだ。
第一、今の民主党政権ぐらい八百長政治を行っている例はないのではないか。「あんたに言われたくないよ」というところだ。
 例えば、民主党でたった一つ歓迎され話題になったのが、あの「事業仕分け」だが、近頃は、そのいい加減ぶりが鼻についている。
 民主党の大臣が中心でつくった予算を、同じ民主党の仕掛け人がばっさばっさと削る。如何にも財源削減をやっているように見せかけるのは、八百長でなくてなんなのか。 
 まして、一度廃止や縮小としたものを、次の予算で平気で復活させたり、なかには焼け太りのようなものまである。とんでもないことだ。
 政治家が、あまり庶民の楽しみに口をはさんではならない。

 相撲協会は「膿を出し切るまで場所は開かない」といっているが、それは元々無理なことだ。
 「出し切る」といっても、どこまで出来るのか、先が見えている。
すでに大阪場所は中止と決めているが、私は本当はやったほうがよかったと思っている。これだけの騒ぎの後だから絶対に八百長はできない。初めてのガチンコ相撲が見られたのにと残念である。必ずしも皮肉ではなく、そこから再出発すればいいのにと思っているのだ。
 あの大らかな、愉快なよき時代を思い浮かべ、大好きな大相撲が一日半も早く再出発することを願っている。

と、まあ、こんな話を実に一時間半にわたって語ったのだが、実際の放送になると、かなりカットされて短くなってしまう。今回は民主党批判のところがすべてカットされていた。
 今迄からみれば長いほうで、色々な人から電話があった。特に「国技館での後援会の大会がびっくりするほどの超満員で素晴らしかった」と言われ嬉しかった。
 ディレクターが全部終わって帰る時、「七十五歳ですよネ」と念を押して、「いやぁ、お若いのにびっくりしました」と言ってくれた。お世辞と分かっていながら私は単純だから御機嫌だった。
 「今度は、是非スタジオに来てください」とも言われたが、これも勿論サービスにちがいない。
 ちょっとした「テレビ出演騒動記」であった。