言いたい放題 第131号 「再び親友との別れ」

 2月1日、第5期TOKYO自民党政経塾最後の講義を終えて帰宅中、車内の私の携帯電話が鳴った。
 「山田・・・が今日亡くなりました。」少し慌てている様子の女性の声だが、よく聞き取れない。何度も繰り返し聞いたが、あまり分からない。これ以上は失礼なので、「通夜や告別式の日程を自宅にファックスして下さい」だけ言って切った。
 はて、一体誰なのか。応援者の顔のあれこれを思い巡らすのだが、思い当たらない。
 そのうち、確か75歳と言ったことと、私の携帯電話を知っていることから、はっとした。「私の親友の山田忠男君かも知れない。いや、そんなことがあるはずがない」、と心の中で即座に否定した。ついこの間、会ったばかりだから・・・。
 帰宅して、女房に伝えたが、やっぱり否定的だ。
 どうも落ち着かないので、吉岡宏君に電話すると、彼も笑って「そんな馬鹿な」と受け付けない。
 「ともかく、君からそれとなく山田君に電話してくれ」と頼んだ。待つ時間がむやみに長くて、イライラしていた。
 吉岡君の返事は、「間違いない」とのことであった。「そんな・・・」私はしばらくは思考が停止状態で、声も出なかった。

 前にも書いたが、私は仕事柄、知人は非常に多い。しかし、学生時代の親友はといえば、これが意外に少なくて、早大時代から親しく交際してしてきたのは、名古屋の牛嶋君、東京の水野、神谷君の3人ぐらいであった。
 近年、その3人とも立て続けに早逝した。その度に心細くなって、高校時代からの2人の親友、山田忠男君と吉岡宏君を呼び出し飲んだものである。
 昨年12月4日、吉岡君の自宅に招かれ、山田君夫妻と私ら夫婦6人でカキ鍋に舌鼓を打ち、話がはずんだ。
 「親友は良いもんだ、この会を定例会にしよう」となって、その月の20日、今度は私が赤坂のジパングに呼んだ。利害得失が皆無の仲だけに、愉快な宴だった。
 あれからわずか1ヶ月あまり、山田君は亡くなった。
 一週間前、自分でタクシーを呼んで病院に行き、そのまま帰らぬ人となったという。入院する2日前まで、早朝の散歩を欠かさず、それも1万5千歩というハードなもの、一体何の為の運動だったというのか・・・。
 とても寂しい。
 人生とはなんとはかなく無常なものなのか、とうとう朝まで眠れなかった。

 前日、5期生最後となる政経塾で、私はサミエル、ウルマンの詩を全員起立の上、声高らかに朗読させた。
 芥川賞作家、「千の風」の作詞作曲家新井満氏の訳詞は透徹で、強く人々の心に響く。サミエルの訳詩はいろいろあるのだが、特に私は好んでいる。
 「歳を重ねるだけで人は老いない、夢を失った時はじめて老いる・・・」。特にこの一節は好きで、私の一つの励みにもなっている。
 しかし、歳を重ねていく度に、間違いなく人生の終わりは近づいてくる。誰も死だけは避けることが出来ない。
 また、一人親友を失った。せめて苦しまず、静かに逝ったことをもって慰めとするしかない。

 2月3日節分の日、私は毎年のように裃姿で年男になって、浅草寺、護国寺、水天宮の3ヶ所をめぐった。お伴はこれもいつものように石塚、和泉両区議と桑原君だ。
 なんとカメラマンでもある吉岡君も急に加わって、私を追いかけ、しきりにシャッターを切ってくれた。夜は彼らと家族も加わって浅草むぎとろで打ち上げの宴だ。乞われて各部屋を廻り、見知らぬ客と豆をまいた。
 にぎやかに盛り上がって、文字通り痛飲したが、酔いのむこうに山田君が見え隠れした。