言いたい放題 第105号 「旭日大綬章拝受」

 すでに周知のことかと思うのだが(案外知られていないか)、去る11月3日、私は旭日大綬章を賜ることになった。マスコミで発表されるや、わずか2日間で私の家の応接間から廊下に至るまで、胡蝶蘭で埋まった。
 運んでくる花屋さん達が、自分の店より数が多いと感嘆しきりであった。
 祝電が、ダンボール箱で何度も届くという具合で、女房をはじめ応援部隊の娘達も、対応でグロッキー気味であった。
 前は、勲一等旭日大綬章といったが、今は等級が廃止になっている。
 いずれにしても受章の本人が、あまりに大きな反響に驚いている。
 この雰囲気は、選挙当選の時や、大臣就任の時とそっくりだが、勲章となると、どうも「ご苦労さん」といった感じが伴っていて、心の中に若干複雑な思いが正直宿っている。
 70歳になって以降、何度もこの勲章を賜る機会もあり、特に昨年と今春続けて辞退していたが、良い年頃になったことだし、「もうそろそろいいのではないの」との女房の意見もあって、多少の迷いはあったが、拝綬することにしたのである。
 はっきりいって、これで「一丁あがり」という訳ではない。
 まだまだやるべき仕事は山積しているから、この度の叙勲は、とりあえず一区切りと考え、一層、奮励努力しなければと、誓いも新たにしているところである。

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 11月5日は、午前10時、勲章の親授式に出席する為、皇居内の坂下門南車寄せに車を着けた。
 倅隆介も助手席で秘書役を務めてくれる。
 入口の左側はカメラの隊列で、盛んにフラッシュが光る。
 これも私にとって、久しぶりの懐かしい光景だ。
 控えの間に、12人の受賞者夫婦が揃う。
 ややあって、陛下から勲章を賜る儀式の指導をあらかじめ受けたが、5回大臣を経験した私にとって、これは手慣れたものである。(別に自慢しているのではないが・・・)
 何度か伺った正殿松の間、入口で一礼して天皇陛下の御前に歩み、直接陛下より勲章を賜る。一歩退って、今度は右側に立つ菅総理大臣から勲記を受け取り、2歩退って、再び陛下に立礼、回れ右で元の入口に戻る。もう一度正面に向き直って、深々と最敬礼をして、親授の式は無事終了である。
 早速、控室で職員が胸に勲章を付けてくれる。男子洋装礼服第一の燕尾服、斜めにたすき掛け、左下にも副賞が着き、これらを総称して「綬(じゅ)」というのだが、なにしろかなり派手な姿になった。
 今度は女房を伴って再び松の間で、天皇陛下の拝謁を賜る。
 一同を代表して扇千景女史が御礼の御挨拶を申し上げた。なにしろ彼女は参議院議長も務め、2度目の叙勲、同伴者は文化勲章の坂田藤十郎氏とあって、まさにはまり役ではある。
 陛下より、「長年にわたる国家国民への奉仕」を労われ、「これからは健康に留意し・・・」と結ばれたお言葉に、様々なことを振り返り感慨深いものがあった。
 近年、陛下の御健康がすぐれないといわれていたが、慈愛に満ちたお言葉に少しホッとした。

 今から20年前、昭和天皇が崩御され、明仁天皇が即位されたが、その即位の礼も、続く大嘗祭にも、私は郵政大臣として参内している。
 若々しかったお姿が思い浮かんで、いつの間にか年月が流れたことを痛感した。
 諸説があるものの、古事記や日本書紀にあるように、初代天皇は紀元前7世紀、神武天皇から始まっている。
 以来、125代にあたるが、万世一系、この天皇の存在こそ、日本国発展の中心であった。
 明仁天皇のご健康を改めて心から祈った。

 余談だが、今日の私が着た燕尾服は、20年前英國屋につくらせたものだ。
 あの即位の礼以来、一度も着る機会はなかった。大臣時代一番身体を鍛えたものだが、今はあまり出来ない。特にこの2ヶ月半、腰痛のため運動不足、一層体型が変わっている。英國屋に無理を言って、サイズを大きく修正したことはいうまでもない。