言いたい放題 第101号 「中国デモに見る道徳観」

 16日、中国各地で抗議の反日デモが起こったとマスコミ各社が写真入りで報道している。
 「打倒小日本」と書かれたプラカードはいつものことだが、国名の上に「小」をつけるのはいうまでもなく蔑視で、さげすむ、見下すということである。
 しかし、私にいわせれば、むしろ「小中国」と書くべきで、やること為すこと日本に比べて小賢く、狡猾で小人なのである。
 いつもなら、やらせ官製デモの色合いが濃いのだが、今回は少し様子が違うように思える。
 規模も大きく、学生が中心で、インターネットで呼びかけて集まったという。一部は暴徒化して、日本のデパート、スーパー、料理屋などを襲撃、かなりの被害が広がっている。
 これが学生かと呆れるが、何と無教養、狭量、不道徳な連中なのか。広く世界を見る目さえ持っていない。
 江沢民前国家主席は、愛国教育と称して、反日思想をたたき込んだ。その影響を受けて育った若者達なのだが、彼らの思想は、必ずしも日本けしからんだけではない。
 明らかに、中国政府や中国共産党に向けての大きな不満や怒りがある。
 世界の経済大国に駆け上っている中国だが、国内では益々貧富の差等、格差が広がっていて、社会的矛盾があふれている。

 学生の就職率は沿岸部で約62%とあまり高くないが、内陸部では何と約41%と、圧倒的な人数が就職できない現状だ。今度の騒ぎの中心は内陸部なのだ。
 丁度、中国共産党第17期中央委員会全体会議が開かれていて、地方の党や政府の指導者達は皆北京に集まっていた。
 騒ぎの大きかった四川省のトップも勿論北京に集結していて、その為、地元のデモを押さえる力を失っていたのだ。
 マスコミの記者の問いかけに、「連日、日本の中国大使館に、銃弾が送られたというニュースを見て、怒りを抑えられなかった」と答えた学生がいた。右翼の嫌がらせぐらいはあったが、そんな物騒な物が連日届くはずもない。
 第一、日本のニュースにものっていないことなのに何で知ったのか。それでなくてもノーベル平和賞にみられるように、言論の自由の全く無い中国なのに不可解千万で、もしそんなニュースが学生間に流れていたとすれば、明らかな偽情報で、それこそ危険な話である。

 日本でも同じ日、2,800人規模のデモがあった。何故か産経新聞以外、ほとんどのマスコミが扱っていなかったが・・・。
 「尖閣諸島は日本の領土」と書いたプラカードを掲げ、シュプレヒコールこそあったが、全体的に整然と秩序正しいものであった。相手の国旗を焼くなどという無礼で恥知らずなことは、勿論やらない。
 贔屓目に見る訳ではないが、日本人のデモ行進は、極めて道徳的で、中国のそれとは比較にならないほどだ。

 おそらく、その違いは日本の良き歴史と伝統、文化の相違から来るものではないかと私は思う。
 中国の歴史は古いが、率直にいって継続性や一貫性がない。
 中国では、君主交代の際、天使がその位を世襲させることはしない。
 だから、絶えず王朝の姓が異なり、支配する民族もかわっている。
 元は蒙古だし、清は満州民族、唐も周も全く異なった民族だといわれている。
 今、私は必要があって、「教育勅語」の勉強をし直しているが、読めば読む程、これは立派な普遍的道徳規範だと感銘している。
 万世一系の天皇制が日本文明の歴史の基になっているが、教育勅語は12の徳目を挙げ、明治天皇のお言葉で、「皆と一致してその特の道を歩んでいくことを願っています」と、国民に親しみを込めて結んでいる。
 残虐な天皇は存在しなかったし、悪行を為した皇后も居ない。中国とは大違いなのだ。
 なによりも日本はどこの国にも占領されたことはないし、中国は常に他民族に乗っ取られ、ボロボロにされてきた歴史だ。国の歴史的背景やその道徳観の影響を受けて、各国の民族性が生み出されていく。
 教育勅語というと、もう知らない世代が多いし、知っている人の中には、前近代的亡霊のように思う人も多い。
 しかし、教育勅語でいう12の徳目は、決して儒教原理主義的なものでなく、実に欧米的思想まで組み込まれている。だから普遍的なものだと思う。
 実は私が塾長を務めている、TOKYO自民党政経塾の塾訓に、かなり組み入れてあり、全員で唱和することを常にしている。

 中国と日本のデモの相違を目の当たりにして、様々なことを考えていた。
 ただ、近年この日本にも道徳観の欠如が目立ってきて、大いに心配の種になっている。
 平気で親を殺める若者、逆に親の子殺し・・・、近頃ニュースを見るとこんな悲しい記事ばかりではないか。次第に自己中心の殺伐とした日本になりつつある。
 私は、これから出来るだけ機会をつくり、「教育勅語」を語りたいと思う。
 今の時代に警鐘乱打の必要を痛感している。