予想はしていたことだが、ノルウェーの今年の平和賞を、獄中の中国人権活動家劉暁波氏が授与されることになった。
 彼は、中国共産党一党独裁に反対し、その見直しや、言論や宗教の自由などを求めてきた、中国民主化運動の第1人者である。
 中国在住の中国人がノーベル賞を受けるのは、これが初めてだ。劉氏らの要求する中身は、我々から見れば日常享受している、いたって当たり前のことなのだが、中国にとっては、とんでもないことで、事実国家政権転覆扇動罪で09年に彼を逮捕し、今年2月には懲役11年の実刑判決が出て、現在刑務所に服役中である。
 ノーベル平和賞は、彼の中国での基本的人権を求める非暴力の闘いを評価したものである。彼は弾圧されても決して屈せず、しかも国内にとどまって不屈の活動を続けてきた。この20年、逮捕や拘留をなど4度に及ぶ。
 かつてノーベル平和賞には、チベットのダライ・ラマ14世、ミャンマーの民主化運動家アウン・サン・スーチさんらがいるが、彼らも、あらゆる弾圧を受けながら、決して説を曲げずに闘い続けている。
 自分があのような立場に立たされたら、一体彼らと同じように闘えるだろうか、思わず政治家としての我が身に問うたが、家族やあらゆるもの全てを犠牲にしてでも出来るかと考えると、率直に言って自信がない。
 その意味で、理屈抜きに、今回のノーベル平和賞の劉氏に拍手を送りたい気持ちだ。

 中国は早速報道管制を敷いて、8日夜、北京市内のホテルでは米CNNや日本のNHKのニュースの画面が突然真っ暗になり、音声も消してしまった。中国最大のネット検索サイトも、携帯電話メールも全てストップだ。
 いま時、国の都合で、すえての放送メディアを突然消してしまうなどという話は滅多に聞いたことがない。しかし、現実にこうしたことが起こったのだから、それだけ見ても、中国は言論弾圧の国、独裁国家であることが証明されたようなものだ。

 かつて中国で文化大革命というのがあった。
 1966年から10年にわたって繰り広げられた。約2000万人もの死者が出たという大騒乱だ。その頃、私は当時、招かれてかの地を訪れる機会があった。
 色々な場所に案内されたが、どの建物の壁にも、中国要人の集合写真が麗々しく飾られていた。
 ところが、いずれの写真も、何人かの姿が黒々と墨で消されていて、異様な雰囲気を感じたものだ。
 失脚した要人を、我々の目に映らぬよう、慌てて消したのであろうが、なんだか、今回のテレビ場面真っ暗事件とよく似ている。すべて御都合主義のこうした面は、何年たっても変わっていないのだなと思った。

 1986年6月、天安門広場に集まった学生、市民に向けて人民解放軍が無差別に発砲する大きな流血の悲劇が起こった。
 前にも述べたが、初めは胡耀邦元総書記の死を悼む為の静かな集会の筈であったが、中国政府、中国共産党に対する民衆の大不満のマグマがついに爆発して大騒乱となったのだ。明らかにされていないが、数千人の犠牲者が出たといわれている。
 この時、学生を流血から守ろうと必死に軍と交渉したのが、劉氏であった。
 彼は後にインターネットを通じて、「08憲章」を発表し世界の大きな反響を呼んだ。
 これは中国の民主化を求める文書で、共産党の一党独裁を非難し、自由、人権、民主権などを基本に挙げ、三権分立、言論の自由など19項目の要求を掲げたのである。

 ノーベル平和賞の下馬評に彼の名があったことから、中国はノーベル賞委員会に直接、警告という形で事前に圧力もかけていた。
 受賞後、中国外務省は、「劉暁波は中国の法律を犯しており、その行為は平和賞の趣旨に背いている」と批判、ノルウェーとの関係悪化も示唆している。

 私はかねてから、各国には各々自国の事情があり、己の国をどう治めるか、その手段方法はその国が決めること、他国がいたずらに介入することではないと考えてきた。内政干渉こそ、国際平和を乱すもとだからだ。
 しかし、今や中国は世界第2の経済大国になった。世界の総人口の5分の1を占め、世界に強大な影響を与える国となったのだ。
 本来なら、当然、国際社会に通用する姿に国が変わっていなければならない筈なのだ。
 実は、中国憲法第35条には、公民は言論、出版、集会、結社、行進及び示威の自由を有すると書かれている。
 しかし、いっこうに守られることなく、国内では相変わらず人権抑圧と民主主義が封殺され続けている。
 中国はいくつかの国際協定に署名しているが、それにも違反している。
 だから劉氏で代表される問題は、もはや国内問題ではなく、国際問題なのである。
 オバマ大統領の平和賞の折、若干懐疑的に思ったこともある私だが、ノーベル平和賞委員会は、中国の圧力に屈せず、毅然たる態度を貫いて、立派である。

 中国を変えていくには、国際世論しかない。
 かつて天安門事件の時、アメリカはじめ日本も様々な制裁処置を講じた。
 しかし、今は世界経済の回復のために各国とも、中国を頼りにしていて、腫れ物に触るような対処だ。
 菅首相も、「ノーベル賞委員会がそういうメッセージを込めて賞を出されたわけですから、そのことをしっかり受けとめておきたい」と、慎重というより、知らばっくれて直接的評価さえしていない。
 肝心のアメリカも、中国との関係強化を目指す思惑で、人権批判を弱めつつある。
 なにしろ、中国は米国債の最大購入国にさえなっているのだ。
 欧州も中国政府への批判を避けているが、これも経済分野で中国の依存度が高くなっているからだ。これでは中国を一層増長させるだけではないか。中国の勝手放題の振る舞いをこのまま許せば、国際社会の平和は守れない。

 一方、中国が恐れていることもある。それは、21世紀の超大国を目指す共産党政権が国際的威信を失墜させることへの心配と不安だ。中国にも弱点は多い。決して絶対ではないことも知るべきだ。
 折から、中国で拘束されていたフジタ社員が釈放された。なんと中国船長が逮捕されてから釈放が決定されるまでの19日間より1日長い20日間と、まるで茶番ではないか。
 要するに、日本人逮捕は日本への仕返しだったのだ。
 今、世界では尖閣諸島問題や、ノーベル平和賞問題で、中国脅威論が再び高まりつつある。中国にとっても問題の沈静化は大きな課題なのである。次々と対抗処置を緩めていくことは当然のことである。
 菅氏周辺は、「これは静かなる外交の勝利など」とうそぶいている。
 どこまでも弱腰の、どこまでも無策で呑気な政権で、本当に心許ない。心配だ。
 厳しい国際社会で、日本に真に求められるもの、それは、正義に対する毅然とした姿勢だ。決して事なかれ主義ではないということを、忘れてはならないと私は思っている。