「私の努力の甲斐あって75歳になりました。」
 私のちょっとしたジョークで、会場は大爆笑で盛り上がったが、正直、心中はそれほど穏やかとはいえない。
 最悪状態の国政の現状を見ると、あぁ、せめて10年若かったらと嘆くこの頃なのである。
 誕生日の9月29日、駒形で応援し続けてくれた漬け物業界の指導者、天長の飯野利夫さんが白血病で逝去され、東本願寺で葬儀が行われた。御遺族から依頼を受けて私は弔辞を読んだ。
 前夜、弔辞の文章をねり、筆で書き上げたのだが、故人は私と同い年の昭和10年生まれであった。同世代が次々と去る中、何はともあれ、元気に生きられることの幸せを噛みしめ、今までもそうだが、せめて精一杯努力するしかないと改めて思ったりした。

 参議院選挙が終って以来、後援会を開いていなかったので、今、次々と総会を催している。
 一昨日は文京区(9月30日)、昨日は台東区と、場所は同じ上野東天紅で開いたが、いずれも満員。特に台東区は400人をこえる超満員の盛況であった。(中央区はコートヤード・マリオット 銀座東武ホテルで10月6日)
 熱気あふれる応援者の顔ぶれを見て、嬉しいやら、申し訳ないやら、複雑な心境だったが、同席の女房も私と同じ思いのようであった。

 本来は他人であるこの人達、まるで肉親のように私を必死で支え続け、落選後も少しも変わらない。そこには一片の利害関係もない。あるのは私への友情と政治への期待なのだ。
 「あんたの元気な姿を見るだけで嬉しい。」
 「久しぶりに政治問題を語ってくれたが、溜飲が下った。」
・・・云々。思わず、胸が熱くなった。
 司会役の中屋文孝都議会議員、石塚猛区議会議員が各々「元気一杯の深谷先生です」と、元秘書だけに熱っぽく大声で私を紹介する。
 ところが私ときたら、実は杖をついての登壇であった。
 意外な姿に場内は、「あれ?」という声でざわめく。
 ぎっくり腰から痛風(尿酸値は5.1で正常)、今は神経痛と、この1ヶ月半ばかり不調なのである。
 杏林大学病院での定期検査で内臓は百点満点なのにだ。若い頃空手などスポーツで厳しく鍛えた故か、あるいは政治家として永年酷使したツケか。
 大会後半は痛み止めの薬が効いてきて、次第にラクになってみんなと酌み交わすお酒が旨くなる。それがいけないのだが・・・。

 講演も含めた私の挨拶では、もっぱら尖閣諸島をめぐる日本外交のお粗末さにふれ、こんな政治では日本はダメになると力説した。
 それにしても、近年、軍事力増強を続ける中国の動きは常軌を逸している。
 今でも、年10%を超える経済成長を続け大国への道をひた走る中国は、当然のことながら石油の必要性が倍加する。
 かつては何も主張しなかった尖閣諸島についても、海底に眠る石油資源の存在が発見されてから、一気に自国の領土と言い出したのだ。
 かの地は1895年、清国を含む他のいずれの国の支配もなく、日本の領土に組み込まれた。
 1951年のサンフランシスコ平和条約で、沖縄は米国の施政下に入るが、72年の復帰で再び日本領土となり、尖閣諸島も一緒に戻った。そのことにも格別異を唱える国はなかった。
 今回の中国漁船衝突事件で、中国の一方的で勝手な言い分に、日本は完全に腰砕けだった。
 日本のあまりにも愚かな譲歩で、中国は更に勢いを増すこと必定である。1歩退けば2歩出て来るのが中国の歴史ではないか。
 一番、迷惑を受け、失望したのは東南アジア諸国である。
 フィリピン、ベトナム、マレーシア等の国々は今、中国の強引な覇権主義に困り果て、弱り切っている。マラッカ海峡を経て石油を8割輸入している中国にとって、南シナ海を制圧することは喫緊の課題なのだ。東シナ海と同様に、南シナ海も風雲急を告げ、まさに波高しなのである。
 だから、今回の事の成行きを東南アジア諸国は自身の問題として受けとめ、固唾を飲んで注目していた。
 中国に対して全く弱い立場の彼らにとって、日本は中国と対峙し、これをはねのけてくれる橋頭堡となってくれると期待していたのである。
 石原慎太郎知事は、「最後はアメリカが守ってくれるなどと思うのは妄想だ。今のアメリカにはそんな思いも力も持っていない。せめて日本も核兵器を持つくらいの気構えを見せないと中国の思うままだ。」との趣旨の発言をしている。
 核兵器所有はともかく、日本はもっと自信と誇りを持って、断固たる外交姿勢を貫いていかねばならない。

 しかも、こんな重大な外交上の国の判断を、一地方の次席検事に語らせるなど、もってのほかではないか。
 菅首相や仙谷官房長官は、いまだに、検察の決めたことで「政治的判断ではない」としきりに強調するが、「日中関係を考えた政治判断だ」とした方が、相手に対してはるかに効果があるのに、一体何を考えているのか、そこのところが全くわからない。
 今回の件で、鳩山前首相は、「私なら温家宝首相とホットラインを持っているから、直接腹を割って話せるのに」と、暗に菅氏を批判した。
 ある週刊誌で、「この人は宇宙人といわれたが、もはや恍惚の人だ」と書かれていたが、同感だ。何を今更寝ぼけたことを言うのか。
 鳩山氏の周囲には、適切な助言をする人も、そうした能力を持つ人もいなかった。それどころかあわよくば、小沢氏にすり寄ろうとゴマをする連中もいた。こうした自己保身が見え見えの姿は見苦しい限りであった。
 その小沢氏、昨年、143人の国会議員を引き連れ、総勢600人の訪中団で、かの地を訪れ大騒ぎだった。
 胡錦涛国家主席と、争ってツーショット写真を撮ろうとする議員達のみっともない姿が、度々テレビに映し出されていた。
 その昔、叩頭(こうとう)の礼というのがあった。皇帝に臣下であることを示す為に、地面に何度も自分の頭を叩き付ける儀礼だが、小沢氏はじめ議員達は、まさにその図通りの卑屈さであった。
 せめて、小沢氏は何か中国に対応するかと思っていたら、全く語らず動かず、例の如く雲隠れであった。

 外交で最も大切なことは、「原則を守る」ことである。
 歴史的事実、国際社会の約束事、法律を守り、1歩も退いてはならないのだ。まして力に屈することなど断じて許されない。
 内政といい外交といい、本当にどうにもならない状況で、これでは日本の将来が危うい。
 年は重ねたが、まだまだ眠っているわけにはいかない。
 政治のありように、常に積極的に発言発信を続け、同時に若い人を育てていくことなど、今の私のやるべき仕事は多い。
 腰の痛みは当分癒せないようだが、心意気と行動は片時も休まぬ覚悟なのである。