言いたい放題 第85号 「薄汚い話」

 9月9日の各新聞に載った「週刊文春」と「週刊新潮」の週刊誌の広告を見てびっくりしたのは私だけだろうか。
 なんと今、代表選挙真っ最中の小沢氏にまつわるスキャンダル、それも親分と子分のダブル不倫という薄汚いタイトルなのだ。
 まず週刊文春には「小沢一郎と青木愛、京都の密会映像」、「テレビが封印したスクープ入手!」とショッキングなタイトルだ。
 小沢氏は代表選出馬を決める半月前の8月18日、京都鴨川沿いの老舗割烹旅館「吉屋」で、仲間と宴を開いた。そして、彼らが引き上げた9時前、なんと座敷に現れた、黒いシャツにスーツ姿の女性が衆議院議員青木愛であった。反対側からテレビカメラが覗いていたのを御本人達は全く知らず、2人はベランダで楽し気に過し、次に現れた彼女は何故か浴衣姿であったと書かれている。この光景は余りに過激すぎて報道はお蔵入りになったという。
 青木氏は元歌手、風俗レポートまでこなす元レポーターで、小沢ガールズの筆頭だ。
 東京12区から出ていた公明党の大田昭宏代表の刺客となって昨年衆議院選挙で当選した。
 小沢氏の寵愛を一身に受け、この庇護の下、まず千葉から衆議院に出て当選、次に落選、更に参議院比例で当選、そして鶴の一声で東京12区に鞍替え衆議院当選と華々しい歩みだ。かねてから小沢氏との深い関わりが噂されていた。

 週刊新潮は、「青木愛が偽名の男と不倫のお泊まり」とこれもビックリのタイトルだ。
 てっきり小沢氏との話かと思ったら、お相手はなんと小沢氏の子分の正規の政策秘書であったのだ。
 この青木代議士、親分の小沢氏と、子分の妻子ある政策秘書と二股かけての不倫交際をしていたのだ。
 2誌共、写真付だが、週刊新潮の方がグラビア写真で圧倒的な迫力だ。
 しかも、政策秘書とデーとした8月31日といえば、民主党本部で小沢氏が出馬表明を行った日だ。青木氏はこの会合の後、直ちに自分のカローラフィールダーに乗り込み、高速道路を速度違反の140キロで爆走、水戸駅付近の政策秘書の待つホテルに駆け付けたのである。2人は仲良く外食、夜は勿論ホテルでお泊まりだ。
 しかも更に驚いたことに、翌朝8時40分過ぎ、前日と同じ服装のままホテルを出て、車を飛ばして東京に戻り、永田町第二議員会館で開かれた小沢氏代表選決起集会に出席したのだ。
 小沢氏の横で、彼女が感極まって涙を流す場面が、テレビで放映され話題になった。その裏で、この女性はこんなあきれた行動をしていたのだ。
 政策秘書とはといえば、親分のこの最も大切な日、彼女と別れた後、2日間にわたってパチンコ三昧で過しているのだ(写真有り)。一体どうなっているのか。

 なんとも薄汚い二重不倫の話で、私のこの清潔にして高級なホームページで書きたくもない。しかし、もしかしたら日本の総理大臣になろうかという人にまつわるスキャンダルだ。決して看過出来ないことなのだ。
 この記事が出た後、青木氏、政策秘書の三つ巴の不穏な争いが始まっているのではないか。事実を知った小沢氏は一体どんな対応をしているのだろうか。
 本来なら、男女の関わりだから、いちいちとやかく言う気にはならない。しかし、重ねて言うが、こんな人が総理大臣になろうとしている。女性は現職の国会議員ではないか。
 今、日本の経済が最悪で、国民は額に汗して頑張っているのに、政策秘書も含めて、皆税金を喰ってぬくぬくと自堕落に暮らしている。
 こんなことが許されるのか、3人とも国政の場で生きる資格は全く無い。
 民主党国会議員の中では、まだ小沢氏が圧倒的だという。小沢氏の集まりがあると、いつの間にか鳩山派の連中が押しかけて、相変わらずゴマすりで、「気合いだ!気合いだ!」と大声をあげる馬鹿騒ぎだ。
 今度のビックリ仰天のスキャンダルニュースに、小沢支持の面々は、どんな顔をしていいるのか、そして何を思っているのか。
 一人一人確かめたいくらいだ。

 一方の菅首相、相変わらず思いつき発言ばかり熱っぽく語っている。よく喋るが、あれは雄弁ではなく唯の多弁だ。反応が少ないと「皆さん如何でしょうか」と拍手を強いている。雄弁とは、語りの技術だけをいうのではない。
首相なら首相らしく、国の将来を正しく見据えて政策を充分に吟味し、理路整然と伝えることが必要なのだ。
 どっちもどっちだなと、思わずため息が出る。

 一方、自民党はどうか。谷垣禎一総裁は役員人事で、幹事長に石原伸晃氏、総務会長に小池百合子氏、政調会長は引き続いて石破茂氏と決めた。九月末の任期切れに伴う人事だが、一時、民主党の代表選の結果を待ってと暢気な話もあっただけに良かったと思う。
 いづれも50代、一応世代交代という姿になったし、知名度も高いから期待出来そうだ。なんとか自民党への支持回復につなげて欲しいものだ。
 要は、立派な政策を立てること、そして、野党として不退転の覚悟で臨むことだ。様々な課題に、なんとか自信を取り戻して、果敢に取り組んでもらいたいと、悶々と願う日々である。