言いたい放題 第74号 「ハマコーの姿に悲哀」

 浜田幸一元議員が逮捕されたと聞いて驚くと共に、なんともわびしい思いにかられた。
 政界の暴れん坊として良くも悪くも勇名を馳せた浜田氏とは、同時代、国会で一緒だった。
 自業自得とはいえ、あの年齢にもなってこんな事件で逮捕されるとは、なんとも残念で情けない。
 彼は千葉県の富津町会議員から県議を経て衆議院議員に当選するが、常に破天荒な行動で物議をかもしていた。
 文字通りの非行少年から、よくぞ国会議員になったものだと思うが、様々な折に、不良の地が現れていた。
 大平氏と福田氏で総裁をめぐって争った1979年のいわゆる「四十日抗争」の時、自民党本部でバリケードを自ら破壊して、怒髪天をつく形相で怒鳴っている姿を私は直接見て知っている。
 「子どもの将来の為にこんなことをしていていいのか!」と、如何にももっともらしく叫ぶのだが、本人のやっている行動と全く相反している姿に、思わず吹き出したものだ。
 米のラスベガスに行って190万ドル(当時で4億6000万円程度)も大負けし、その支払いを政商の小佐野賢治氏が支払ったとかで大騒ぎになった。
 結局、80年ロッキード事件がらみの裁判で、支払いの一部がロッキード社からの資金から出されたという検察の捜査結果が出て、自ら国会議員を辞職した。
 しかし、なんとその3年後には、再び当選するのだから不思議だ。人生かけて政治に尽くした私が、何度も破れているのに、彼はなんともいい選挙区を持ったものだ。

 88年には、予算委員長になるのだが、委員長席から共産党の宮本顕治議長は殺人者であると言い出し、大混乱となって委員長をクビになった。宮本殺人説は従来から一般にも言われていて、格別目新しいことではないのだが、何も委員長席からそんなことを突然言い出す必要は全く無く、なんとも不思議な人であった。
 さすがに彼は日頃の行状から、国会議員を7期つとめても大臣にはなれず、広報委員長や副幹事長どまりであった。
 自民党の役員会が開かれた時、何故か森喜朗代議士に浜田氏は毎回必ずくってかかり、批判する場面が続いた。森氏はなんとも困惑に表情だったが、騒ぎが大きくなることを考え、かなり自分を押し殺している風だった。同席していた私は、何もそんなに責めなくてもいいのではないかと、不愉快な思いで声を掛けた時もあった。
 一方で、驚くほどの人情家で、役人達を大事にしたものだ。私とも不思議に気が合って私の後援会の大会等に参加してくれて、自作の「母さんの歌」を熱唱して、聴衆の涙を誘ったこともあった。
 議員を辞めてからは、テレビのバラエティ番組等で常連となって、お茶の間の人気者になっていた。
 近年は、テレビでしか顔を見ることが無く、膨大な借金で破産宣告を受けたなど悪い噂ばかりであった。
 彼の御子息は防衛大臣になったが、その頃私はテロ対策特別委員長時代であった。
 大臣になりたての頃は、とても危なっかしくて、委員長の私は出来るだけ他の大臣に答弁を振ったものだが、後年は自信を持っていて、しっかり答弁をして頼母しく思ったものだった。

 逮捕直前の様子がテレビに映ったが、齢81歳、話をする口元が震えていて、その変わりように驚かされた。
 真実はこれから法廷で裁かれて明らかになるだろうが、なんといっても国会議員を長年勤めた人、老惨な姿をこれ以上さらして欲しくないとしみじみ思った。