言いたい放題 第40号 「夫婦別姓は誰も幸せにしない」

 民主党が選挙のマニフェストに載せず、法律化しようとする動きのもう一つは、夫婦別姓の民法改正案である。
 さきの外国人参政権にしても、夫婦別姓にしても、元々民主党の政策集に書き込まれていた。それをあえてマニフェストから削除したのは、国民の中に賛否両論があるからで、つまり選挙に少しでも不利になるものは避けるというのが本音である。
 だとするならば、政権をとったからといって、これを直ちに持ち出し、法制化しようとするのは、選挙民に対する欺瞞ではないか。
 現行民法では、その750条に、婚姻時に夫又は妻のいずれの氏を選択する夫婦同氏原則の規定となっている。
 今回、鳩山政権下、法務省が出そうとしている改正案は、選択的夫婦別姓制度の導入で、別姓を選んだ夫婦の間に複数の子が生まれた場合、子の姓は夫婦どちらかの姓に統一することなどが盛られている。
 勿論、鳩山首相は賛成だが、亀井金融相は反対を主張するなど、外国人参政権と同様、政権の内部も意見はマチマチである。
 今までなら、こうした状況を「閣内不一致」といって野党の格好の攻撃材料となり、議会で糾弾されるのだが、与党は圧倒的多数にあぐらをかいて平気な顔、野党自民党にも残念ながら追求の気力迫力が無い。
 もっとも、この夫婦別姓問題は、自民党の中の意見も色々で、必ずしも反対で統一されている訳ではないから始末が悪い。

 私は、この問題は、国や社会の基本を「家族単位」とみるのか、「個人単位」とみるのかの考え方の違いであると思っている。
 一般的に、このテーマの当初は、男女同権思想から出発したといわれている。
 女性が次第に社会に進出していく中で、結婚すると女性は姓が変わるが、男性は変わらない。女性の権利の侵害だという声である。
 しかし、この主張は、今の制度の上でも実は必ずしも正しくはない。夫婦どちらの姓にしてもよいことになっているし、生活上不都合が生じるからと、女性が自分の名を引き続き使いたければ、現法でも、「通称」は許されていて可能なのである。
 社民党党首である福島瑞穂女史は、夫婦別姓論者だが、彼女の著書の中で、家族の基本型は無いとして、シングルマザーも独身者も、「一人家族」としている。複数で構成する共同体を家族というのだが、一体何を考えているのか分からない。
 左翼的イデオロギーから個人主義を貫けば、家族という共同体は崩壊していく。それが目的なのかと勘ぐりたくなるが、もしそうなら大変なことである。
 かつて、日本の良さは家族がしっかり結ばれているところにあるといわれ、家族が社会を構成し、国をつくっていて、これこそ日本のアイデンティティといわれたものだ。

 私の場合、第2次大戦の終焉を遠く満州で迎え、1年後、まさに命がけで日本へ引き揚げて来た。あの時代、中国の幾山河を越え、飢えと不安に耐えて帰国出来たのは、両親が必死で子供を守ろうとし、子供らも、その親の愛を信じて夢中で従って来たからである。もしあの家族愛がなければ決して生きて帰ることなど叶わなかった。
 戦後の日本での暮らしも、今では誰も想像出来ない程の赤貧状態が続いた。その頃はどの家も同じような貧しさだった。
 父は5人の子供を育てる為に、馴れぬにわかづくりの靴職人になって、母と一緒に夜なべ仕事に励んでいた。
 木造ボロ家の都営住宅で、私と弟は戸棚の上下を勉強部屋にして、両親の期待に応えなければと学んだものである。
 夜中12時近くになってようやく仕事が終ると、皆で近所の公衆浴場へ行き、仕舞い風呂に入り、戻ると父は晩酌を楽しんだ。
 食事時、母は父には必ず子供達より多いおかずを用意したが、我々にとっては、私達の為に働いてくれる父親なのだから当たり前のことと、何の不自然さも感じなかった。
 父は、一杯飲んで酔うと上機嫌になって、決まって口三味線で都々逸などをくちづさむ。
 華やかだった戦前を思い浮かべて、その頃のことをよく語ってくれた。現実の不遇さや苦労を愚痴ることなど一度もなかった。
 いつの間にか中学生の私や小学生だった弟も、一緒に都々逸をうたい、覚えた。今でも私にとって得意の十八番で、酔うと亡き父と同じように名調子?で都々逸をうたう。
 こうした一家団欒の時は、日に一度は必ずあって、親を敬い、子を慈しむ心を、いつの間にか、その中で学び身につけていったように思う。
 一方、厳格な父でもあって、男の私達に何か誤りがあると、時々鉄拳が飛んだ。父の、「恥を知れ」という言葉は今でも脳裡に刻み込まれている。
 「今は貧しくても、必ず骼iらが世に出て、深谷家は盛んになる」、父母は口ぐせのように願いをこめて私に語ったものだ。必然、私も期待に応えたいと努力を重ね、振り返れば長い政治家としての道をひたすら歩んで来たものだ。
 私や弟妹達にとって、「深谷」という名の家庭は、人間の営みに必要な、あらゆることを学ぶ教室であった。
 藤原正彦が「国家の品格」の中で、いみじくも述べている武士道の精神「慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、名誉、恥」など、あらゆるものを、いつの間にか家庭の中で学んでいたのだ。
 両親共、格別に学問を積んだ訳でもない。恐らく秩序だって、計画的に教えようとしたものではないと思う。家族の自然の営みの中で、無意識のうちに、人はどうあるべきかを身に付けていったのではないかと思う。

 評論家の櫻井よし子女史は、「夫婦別姓法案の源をたどれば、その考えは戦後の占領政策の下で行われた徹底的な家族制度の破壊に行き着く。現在私達が直面する多くの問題が家庭の破壊に端を発するという側面を持つのは周知の事実だ」と書いているが、まさにその通りである。
 例えば、今、福祉制度は財政面も含めて崩壊寸前にあるといわれている。しかし、少子高齢化が加速する時代、国が全ての面倒を見ることなどとても不可能なことだ。
 本来は、家族や親戚の助け合いこそが中心で、その補完をするのが国の福祉制度なのである。家族が崩壊し、その役割を果たせなければ、当然国の福祉制度は破綻する。
 近年、少年犯罪の低年齢化の流れは大きな問題になっている。
 本来、家族がしっかりして深い愛をもって子供を育てれば、少年は非行に走らない。勿論これが全てとはいわないが、親の愛情不足、これが彼らを孤独にさせ犯行を起させる最大の原因となっている。
 いずれにせよ、家族の絆が壊れていくことが、日本の様々な問題を惹起している。
 私達はこの現実を看過してはならないのだ。

 東京女子大学の林道義教授は、夫婦同姓は単なる形式ではない、家族統合のための大切な「象徴」であり、日本文化の基本の型だと書かれている。
 「どんな集団や組織にも必ず統合の為の象徴があるし、どの国家も象徴としての国旗と国家がある。それは同じ集団に属するという意識を高め、きずなを強める働きをしている・・・」
 われわれの先輩達が長い年月をかけて築き上げて来た価値観、まさに日本の文化文明を反映している家族制度を、様々に理屈をつけて、今、簡単に崩してはならない。
 
 民主党が安易に夫婦別姓を国会に提出し、決めようとする態度は許せないし、連立を組む左翼的イデオロギーの人達が、何を目論んでいるのかも気がかりだ。
 ここは、じっくり腰を落ちつけて、みんなで何が正しいかを見定めたいものだ。