言いたい放題 第34号 「『鳩山政権の限界』施政方針演説を聴いて」

「いのちを守りたい、いのちを守りたいと願うのです」
 鳩山由紀夫首相の施政方針演説は、いきなりこの文句から始まった。「えっ、なんだい」と私はびっくりした。
 まるで高校生の弁論大会ではないか・・・。

 歴代の総理の施政方針演説は、その政権の国民に対する大事なメッセージで、この国をどういう方向に持っていこうとしているのか、具体的な内容を中心に語るものであった。
 各省庁からの要望を羅列しているだけで、味気ないという批判は昔からあって、もっと心のこもった格調の高いものを、という指摘も多かった。
 しかし、この国と国民をどう守かという基本的な姿勢を表すためには、より具体的な中身を示さなければならず、好むと好まざるとに関わらず、ある種の限界があった。
 古くは、東洋哲学者安岡正篤氏の知恵をかりて格調高いものを目指した首相も居た。
 私の知る中曽根康弘元首相も、雄弁家といわれていただけに、自分の夢や理想を、つまり独自のカラーを出したいと、随分苦労されたものであった。
 当時私は総務副長官という立場で、直接関わっただけに鮮明にあの頃の様子を覚えている。私の職責上、「青少年の健全育成」についての政策をどうしても加えて欲しいと依頼し、実際にその文言を加えてもらったこともある。
 各省庁の大臣らも、様々な政策について要望を出し、結局、必要不可欠なものは、次々と盛り込まれていった。
 最初の原稿は、いわゆる罫紙に書かれているか、隣の1行は必ず空白になっていて、そこに追加の文言を加えていく。だから文章全体がおかしくなるケースもあり、まとめるのも大変だ。そんな原稿を繋ぎ合わせてつくるから、「ホチキス」などと揶揄されたりもしたのである。
 施政方針演説は出来るだけ短くしようと、毎回、意見が出るのだが、何しろ国全体の有りようを具体的に示すのだから、そう簡単に切れるものではない。
 1つ1つを丹念に読めば、その政権が何をやろうとしているのか、具体的に見えてくるのだが、必然、味気ない、およそロマンチックな演説とは縁遠いものになっていく。施政方針演説というのは所詮、そういうものなのである。

 鳩山首相の演説は、確かに初めの出だしからして今までのとは違った雰囲気ではあった。
 しかし、はっきりいって、正視できない程情感たっぷりの美辞麗句のオンパレードだった。訳のわからない「いのち」という言葉が、なんと24回も出てくるのだ。
 元々、この原稿を書いたのは松井官房副長官で、その草案を官僚の前で読み始めたとき、途中で涙声になったという。自分で書いて自分で酔って感動するなんて、まるで高校生だ。
 勿論、その中味を示したのは鳩山首相だが、大きな影響を受け、ヒントとなったのが、昨年12月のインド訪問であった。
 マハトマ・ガンジーの慰霊碑に献花した時、そこに刻まれた「七つの社会的大罪」に感動し、それを演説の土台にしたというのだ。
 「ちょっと待ってくれ」、日本の行方を語るのに、つい一ヶ月前に偶然発見したインド指導者の思想を、そのまま持ち込むなんて、あまりに安易、軽薄ではないか。
 「理念なき政治」、「労働なき富」、「良心なき快楽」、「人格なき教育」、「道徳なき商業」、「人間性なき科学」、「犠牲なき宗教」が、七つの大罪、確かに1つ1つ立派で、この言葉に文句を言う気はない。学ぶべきは学ぶにこしたことはないのだが、インドの背景と、日本の状況は基本的に全く異なっているということを知らねばならない。
 インドには、歴史的なカースト制度と呼ばれる階級差別が現存している。一般的には4階級といわれているが、厳密にはなんと2千以上の階級に分かれ、それは何代変わろうと不変だという。
 今では、中国に次ぐ、12億人に及ぶ人口をかかえていて、その貧困ぶりは、われわれ日本人には想像を絶するものがある。
 このインドの極度の苦境から、なんとか国民を救いたいというガンジーの声は、まさに生命を賭けた血の叫びであったのだ。
 大金持の子に生まれ、莫大な資産を気にもとめずに平気で受け取って、「そんなことは知りません」とぬくぬくと暮らすお坊ちゃんに、この血の叫びがわかる筈は絶対ない。
 ほんの一時の感動(いや、たぶん、感傷といった方が正しいと思うが)を、日本の将来に責任を持って語る施政方針演説の中心に据えるなど、あまりに軽率、軽挙妄動としか言いようがないではないか。
 彼が、「労働なき富」と言った時、議場は野次と怒号で騒然となった。「お前のことだろう」との野次は、まさに的を射ていて、先の予算委員会で、「ドラ息子」と野次られた時と同じである。
 母親から、12億6千万円も受け取って、政治資金収支報告書に記載せず、「全く知りませんでした」で通そうとする首相、「労働なき富」とはこのことを指しているのに気づかないのだろうか。
 大体、明らかな脱税行為なのに、「納めればいいんでしょ」とばかり何億も納める無節操ぶりだ。普通は脱税で逮捕されて当然なのに・・・。
 2人の秘書がこれから公判で裁かれるのだが、そのことについて何の釈明もしない。問題に触れたのはわずか数秒で、「国民の皆様にご心配をおかけしたことをお詫びします」と言っただけだ。その前段で「政治家は範を垂れる必要があります」と言っておきながらである。厚顔無恥とはこうしたことを云うのではないか。
 小沢幹事長をめぐる数々の疑惑、3人の元秘書が逮捕され、その中には石川知裕民主党現職議員もいるのに、一言もこのことに触れようとしない。
 せめて、首相としての対応や、説明責任について語るべきなのに、これでは国民に対して誠意のかけらもないと言わざるを得ないではないか。

 何度、演説原稿を読み直してみても、白々しいことばかりは盛りだくさんだが、肝心なことは、ほとんど書かれていない。
 例えば、あのハイチ地震の惨禍に対して、自衛隊の派遣と、約7千万ドルに上る緊急復興支援を表明したというが、実は日本の対応がすっかり遅れて、世界の顰蹙(ひんしゅく)を買ったのだが、このことについての反省はない。
 結びの部分で、阪神・淡路大震災の追悼式に参列したことを語り、息子さんを亡くした父親の苦労を引用して長々と話した。なんともお涙頂戴の本音が見え見えで、むしろ亡くなった方を利用して無礼ではないかと私は不快に思った。
 震災直後に、ヘリコプターで現地に飛び、生々しい状況を視察し、次いで自治大臣として、その復興のために働いて来た私から見れば、「あの頃、あなたはどうしていたの」と聞きたいくらいで、噴飯物なのだ。

 今、一番大事なことは、経済対策だ。
 デフレスパイラルに陥って、鳩山不況といわれる状況が続いている。値下げ競争で勝ち残るのは一部の日本企業を除いて、中国ばかりだ。無理な安売りを続け、収益が減れば、特に中小企業は困り、賃金カット、リストラと悪循環が続くばかりだ。
 働く人々のいのちを守ると、良いことずくめの言葉を重ねているが、一体、5%を超える失業者をどう減らしていくのか、これについても知らんぷりだ。
 今でも637兆円(2010年度末)の国債という名の膨大な借金があるが、これらは全て次の世代の負担になる。これをどうやって解消していくのか、財政再建への具体的方向性も、メッセージも無い。
 税収はわずか37兆円なのに、新年度の国債発行額は実に44兆円だ。
 税収を超える国債発行は前代未聞だが、次年度は51兆円に及ぶと予想されている。
 当然、消費税論議に入らなければならないのに、参議院選挙を考えて触れようとしない。国民の方が先刻承知しているのにだ。
 外交、安全保障政策については特に曖昧で、毅然たる姿を示していない。
 沖縄基地問題は先送り、5月に決着をつけるというが、本当に出来るのか、わずか12名の議員しかいない社民党に振り回されて、演説作成過程で何度もの曲折があった。
 参議院での数が足りないから、必要以上に社民党に気をつかうのだが、元々反米、反基地の政党ではないか。
 日米関係と、社民党との連立とどちらが大事なのかは自明の理なのである。

 字数は1万3600字、あの橋本龍太郎元首相の施政方針演説に次ぐ長さというが、理念ばかり(本物かは疑わしいが)が先行して、具体策はほとんど見られない。
 今回の施政方針演説には合格点など及びもつかない。
 鳩山氏の空虚な実像が浮かびあがり、すでに政権担当能力は限界に達したことがより一層明白になった。
 一刻も早く退陣することが、唯一彼に残された国家国民への貢献ではないかと思うのだが・・・。