2009年10月12日
言いたい放題 第2号 一層安っぽくなったノーベル賞
「えぇー、オバマ氏がノーベル平和賞。」10月10日朝刊を見てびっくりした。
だって、バラク・オバマ氏って、米大統領になってまだわずか9ヶ月ですよ。
ノルウェーのノーベル委員会の受賞理由は、「国際的な外交と諸国民の協力を強めることに対して並外れた努力をした。特に核無き世界を目指すとする理念と取り組みを重視する。」ということだったが、何か具体的な成果はあったかと考えると、正直何もない。9ヶ月では答えの出しようもないというのが実際だ。
してみると、ノーベル賞とは、実績に対して出すものでなく、これからへの期待ということで決まるというのだろうか。
確かに、大統領選挙を通じて、オバマ氏は「チェンジ」という言葉と、「イエス ウィ キャン」の2文字を連呼し、これがいかにも目新しく、全米の国民を熱狂させ、世界中に木霊した。
元来人種差別の国アメリカで、その壁を破って、初の黒人大統領になったことは、素晴らしいと思う。
しかしキャッチフレーズ造りが上手で、演説が上手い、容姿がかっこいいという人なら、世界中にごまんといる。(そのキャッチフレーズや演説だって、専門のライターがついてのことだが・・・)
やはり、今、世界の話題の中心、売り出し中の米大統領ということが受賞の決定的なポイントとなっていることは確かである。
プラハでの彼の演説、「核兵器を使った唯一の国として、核軍縮へ行動する道義的な責任がある」は如何にも正論には違いないし、歴史的な名演説と評価する人は多い。
しかし、その核兵器を使われた不幸な国日本への米国謝罪など皆無ではないか。
あの第二次世界大戦の折、広島、長崎に投下された原爆で、我が国の同胞約21万人が一気に殺され、後遺症で苦しむ人々は数え切れない。
第二次大戦で日本が敗れて後、あの東京裁判では、勝った国の判断で、日本人のA級戦犯7名が処刑され、実際に罪のない人も含めて約1000人が断罪され死に追いやられた。
戦争責任が問われたことに不服を言うのではない。しかし、原爆を投じた人、命令をした人、それを行った国は、何のおとがめも受けていないではないか。一体こんな矛盾が許され、歴史の流れの中で埋没されていいのだろうか。
本当に責任があると思うなら、オバマ氏はまず被爆地を訪ね、原爆ドームを見て、その悲惨さに、頭を垂れて謝罪の一語ぐらい言って欲しいものだ。
今回、オバマ氏の名は下馬評にも全くなく、まさにサプライズ受賞であった。
記者団から「アフガニスタンとイラクで戦争する米軍の最高司令官である大統領を、平和を築く者といえるのか」との質問も出たとのことだが、もっともなことである。
おそらく一番驚いたのは、オバマ大統領自身ではないか。御本人も、ホワイトハウスで記者団に、これは私が成し遂げたことに対してではなく、行動への呼びかけとして受け入れる」と微妙な発言をしている。
米国は、「包括的核実験禁止条約」(CTBT)をまだ批准していない。今回の受賞のもう一つの理由は、地球気候変動問題で建設的役割を果たすようになったということだが、目下のところ、温室効果ガス排出大国の責任を米国は全く果たしていない。
ノーベル賞にケチをつけるつもりはないが、どのマスコミも大礼賛ばかりでどうも気にくわない。我が国の鳩山首相も、「オバマ氏が先導して世界が変わってきたと感じ、本当に嬉しい」と、手放しだ。
甘い、甘すぎると私は思う。
今後のアメリカの核軍縮の取り組みは、必ず露・中と対決しても負けない状況の中でしかあり得ない。
温暖化対策も、自国の御都合を中心にしか考えない。
これがアメリカは勿論、世界の国々の態度であることを忘れてはならないと私は思っている。