第777回「会うは別れの始め」

 深谷隆司の言いたい放題第777回

 「会うは別れの始め」

 盟友の松本隆三さんが10月14日亡くなった。80歳である。

15日の通夜は、温故知新塾の講義の日と重なり行けなかったが、翌日の告別式には家内と共に出かけた。朝9時過ぎに東京を出て大阪での告別式が終わるや、直ちにトンボ帰り、夜7時からの自民党政経塾の講義に間に合わせた。まさに強行軍であった。


 1983年、その頃付き合っていた大洋ホエールズの平松政次投手が念願の200勝を達成、私の家族一同で向島の料亭櫻茶ヤに祝いの席を設けた。その時、彼の大阪後援会長であった松本さんが同席され、それが縁で格別親しくなり、実に35年にわたる長い交流となった。

 松本さんは大阪で会社を営み、優良納税者会の会長を務め、私を何回か講演の為に呼んでくれた。恒例の大阪経済大学や関西大学に講義に行くと、いつも自ら車を運転して送り迎えしてくれ、講義にも必ず同席した。その度に講義に感動したと言い、生徒が居眠りでもしていると、学長に直接文句を言う人であった。

 律儀で頑固一徹な人だった。

よくご夫妻と京都で遊んだ。料理屋で気に食わないことがあると突然怒り出したりして周囲を困らせたが、私から見るといつも筋が通っていた。

 政治についても一言居士で、政治や政治家のありように大いに不満を持っていたが、私に関しては全て文句なし、どんな時でも最大の理解者、信奉者であった。

 私が大臣時代も、落選して苦境にあった時も少しも変わらず私に接してくれた。どんなに彼の存在で私の心が癒されたことか・・・、今思い出して涙が止まらない。


「会うが別れのはじめ」と言う。出会った人とは必ず別れが訪れる。特に私の場合、政治家ゆえに大変な数の人と出会い、別れ、見送らなければならなかった。

 出会いは別れをもたらす、人の世の無常なのである。別れの悲しさ、愛のはかなさ、それは出会う喜びがあったからこそで、だから別れが訪れるまでの時間を大切にしなければならないと改めて思う。


 昔、私の自治大臣時代、長崎雲仙普賢岳の大災害復旧復興のために、1千億円の基金を大臣の決断で決めたことがある。その時、何度も陳情に来られたのが高田知事であった。9月8日に92歳で亡くなられたが、お別れ会が今月22日にある。 

 県からの要請で私はお別れの言葉を述べるために長崎に行く。

又、「会うが別れ」の寂しさをかみしめねばならない・・・。




第776回「ノーベル平和賞とは?」

 深谷隆司の言いたい放題第776回

 「ノーベル平和賞とは?」

 今年のノーベル平和賞が誰になるのか気になっていた。マスコミ等の事前の予測で韓国の文大統領、北朝鮮の金委員長、更に米のトランプ大統領の名前まで上がっていたからだ。

 文大統領が北朝鮮にのめりこんでいく姿は、やはり同胞意識としてやむを得ないとは思うものの、肝心の核廃絶が進まなければ何の意味もない。いままで何度も北に騙されて、結果的に核保有国にしてしまったのは歴代韓国大統領ではなかったか。

 おまけに、真実に反する慰安婦問題を喧伝し、世界に慰安婦像を拡散させている。最近では主権の象徴ともいうべき自衛隊の艦旗「旭日旗」にまでいちゃもんをつける。旭日旗を「戦犯旗」と言う韓国の主張は一分の理もない言いがかりだ。 

 国内法で掲揚が義務付けられ、国際法上でも国の軍隊に所属する船舶を示す「外部標識」、しかも半世紀以上にわたって行なわれており、国際的な慣行として確立している。

 日本は5日に行なわれる予定の韓国での国際観艦式への護衛艦派遣を見送った。当然の事だが政府の毅然たる姿勢を評価したい。同盟国に対して平気で主権侵害を行う大統領に平和賞などとんでもないことだ。

 金委員長などは論外だ。北朝鮮当局による拷問、公開処刑、外国人拉致、意思表示の権利剥奪、強制収容所では裁判もせず処刑されているという。300万人以上の餓死者を出した問題も含め、人権問題が国連でしばしば取り上げられ、決議案も採択されている。どこをとっても平和賞に価する筈もない。

 トランプ氏は日替わりメニューで何を考えているのかわからない。大統領選挙時は日本バッシングが目立ったが、安倍総理と親しくなって最近は良好な関係だ。しかし、6月の日米首脳会談では「真珠湾攻撃を忘れないぞ」と二国間通商交渉を迫ったりする。

 中国の習主席を友人だといいながら、中国製品に多大な関税をかけ、中国も報復処置で対抗、今や米中貿易戦争は世界経済に悪影響を与えている。

 北朝鮮問題でも金委員長を「チビのロケットマン」「狂った男」と言ったかと思うと、シンガポールのセントーサ島で史上初の米朝首脳会談を開くと、いかにも親しげな態度をとる。

 朝鮮半島の「終戦協定」を「平和協定」にするという動きに対しても賛意を示す。そうなれば38度線は対馬海峡まで広がり、日本の脅威は高まる一方だ。


 幸いノーベル平和賞はコンゴの医師とIS被害女性に決まったが、平和賞に関しては今までに首を傾げたくなるような人物に与えられ、不信感はぬぐえない。

 一方、京都大学の本庶佑特別教授がノーベル医学生理学賞を受賞した。本当に嬉しい。

 2000年以降、日本人のノーベル賞受賞者は18人に達した。実証主義である科学の分野で、このような成果を挙げた事は本当に見事だ。日本人の素晴らしさに改めて感動している。


第775回「ついに83歳」

 深谷隆司の言いたい放題第775回

 「ついに83歳」

 年月の流れの速さを充分にわかっているつもりであったが、9月29日、83歳を迎えて、改めて感慨深い思いに駆られている。

 母は69歳で逝き、父は77歳で人生を終えたから、それに比べればここまで生きたことはありがたい。

 さて、これからどんな人生が待っているのか・・・。幸いよき女房と自慢の子供や孫達に恵まれている。そしてなによりも素晴らしい友人たちに囲まれているのだから、与えられた仕事に精一杯応え、とにかく愉快に日々を重ねていくことだと思っている。


 恒例の誕生会を浅草ビューホテルで開いた。これまでプリンスホテル、帝国ホテルと続き、特にこの10年余りはニューオータニで行ってきたが、今年は獣医学会の貸しきりとあって場所を変えざるを得なかったのだ。

 この学会は資金と組織が大きく、その圧力で50数年も獣医学部の新設ができなかったと報道にある。例の加計学園問題で安倍総理も苦労しているが、それだけになんだか追われたようで不愉快であった。

 浅草ビューホテルは、東洋一の国際劇場がなくなった後、私が中曽根先生に依頼し誘致したホテルである。国際劇場こそ、私が都議会から国会に臨む過程で最も活用した場所で、ここに毎回5000人もの後援者を集めた事が躍進の力になったのである。

 ビューホテルは子供の結婚式や出版披露会など何度も使っているのに、不思議なことに誕生会だけは今度が初めてである。

 倅隆介が司会、途中、生島ヒロシさんが飛び出して八代亜紀さんの歌などを紹介する、さすが本職である。料理、従業員の姿勢、ホテル挙げての対応が素晴らしく、結果からいえば「かえってよかった」のである。


 孫の安希与といつものようにタップダンス、相変わらず忙しい日々だったが、何度もスタジオに通って練習した。始めたのは娘恵理の成人式の時だから実に32年になる。かなり息が切れて娘知美が慌てて水補給、それでもなんとか無事こなした。タップを続ける当面の目標を「米寿」あたりに置こうかと思っている。

 今回誰にも内緒でドラムを習って初披露、これには参加者はびっくりしたようで大喝采だった。

 最後は「星降る街角」の歌に合わせて全員で踊った。社会的立場にあって毎日が多忙な人たちだが、時に全てを忘れて愉快に過ごす事も必要だ。私の誕生会はそんな機会を提供していると勝手に思っているのである。

 これから自民党政経塾や温故知新塾の講演などの原稿書きで引き続きパソコンと向き合わなければならない。数時間かかるが、83歳、少しも厭わずに仕事に没頭できる。これも嬉しいことである。



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