第770回「思うこと」

 深谷隆司の言いたい放題第770回

 「思うこと」

 8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われた。現職時代、私も必ず列席し、戦争で犠牲となった約310万人の御冥福を祈ったものだ。

 天皇皇后両陛下も御臨席されたが、来年4月の譲位を控え、これが平成最後の式典臨席になるのかと思うと感慨無量であった。

 「お言葉」では、戦後の平和な歳月に思いをはせる表現を盛り込み、平和を希求していく変わらぬ願いを示された。


 終戦の日、私は満州ハルピンの地で、ラジオから流れる聞き取りにくい昭和天皇の詔勅を聞いた。9歳で何も判らないのに大人と一緒に涙を流したものだ。

 異郷の地に置き去りにされた敗戦国民の苦難、まさに天国から地獄であった。1年後、引き揚げが決まったが、幾山河を越えるその道中は筆舌に尽くしがたい悲惨な体験であった。

 米軍の上陸用舟艇でようやく長崎佐世保にたどり着いたが、大人たちは日本の大地に頬をつけて泣いた。私も同じように泣き、そして強く思ったことは、日本という国が在って良かった、この国に生まれてよかった、日本人であってよかったとの感動であった。 

 この国の為に尽くそうと決意し、やがて区議会、都議会、国会へと政治の道を歩み続けた。落選、浪人時代もあって多くの挫折も味わったが、今振り返って、いささかの悔いもない。

 全人生をかけてお国の為に働いたと自負しているのだ。



 今、熱を入れているのは自民党政経塾、13年目だが、定員100人のところ、なんと250人で入りきれない。温故知新塾も3年目を迎え、講義をまとめた本「本当はすごい日本人」が幻冬舎から出版されている。

 8月3日、長野県議会議員補欠選挙で岡谷市に行き、竹村安弘候補を応援した。

 この地は40年前、市長選挙で自民党の反対を押し切って36歳の林泰章氏を応援し、逆転当選させた懐かしいところである。

 残念ながら今回は敗れたが、その竹村氏から感謝の手紙が届いた。

「(略)先日はご多用の中、私ごときのために応援演説を賜り、衷心より御礼申し上げます。総決起大会開催に向け、元通産大臣深谷隆司先生ご来訪を各所で伝え、宣伝カーでも広報いたしました。当地では話題になり、報道各社からの問い合わせもある中、440席用意した会場に座りきれぬほどの盛況となりました。ご出席の皆様からは「演説に聞きほれた」「地元の代議士に比べ、オーラが違う」「次回は?もっと長く聞きたい」等々、大変喜んでいただきました。結果は若い順に千票の差がつき落選となりましたが、4ヶ月で得たものは多く、必ずや今後に生かして参る所存です。先生は慌ただしいスケジュールに加え、満足な対応も出来ず、お礼もお受け取りいただけず、申し訳なくお詫び申し上げます。(中略)ご恩は生涯忘れません」。いい人を落として無念、私からは「しばらくはご家族と悠々とお過ごし下さい」と書いて送った。

 来年は統一地方選挙、参議院選挙がある。後輩のために全力投球しなければならない。9月で83歳になるが、元気一杯、まだまだ働くぞと秘かに力んでいる。



第769回「憂鬱な季節」

 深谷隆司の言いたい放題第769回

 「憂鬱な季節」

 夏が嫌いなわけではないが、西日本豪雨による大被害、台風、何よりもの連日の酷暑と続くと、さすが元気一杯を誇る私も憂鬱になる。気の滅入ることも多いい日々だけに、書けと言われても簡単に書けない「鬱」という字までわずらわしい。


 8月3日、長野県岡谷市の県議補選の応援に出かけた。総決起大会は「深谷元大臣来る」の前宣伝の故か?450人を超える満員盛況、久しぶりに私も熱弁をふるった。

 竹村安弘候補は私の青年局長時代から親しい後輩で、誠実で律儀、市議を2期つとめ議長も経験した、まさに県議にふさわしい人物で、私は孫安希与と共に意気揚々と臨んだものだ。

 しかも岡谷市には深い想い出がある。43年もの前になるが、市長選挙で現職市長だけが手を挙げ、無競争になるところ、若い人たちから推されて35歳の林泰章氏が出馬することになった。私は彼らの熱い依頼を受けて、党の反対を押し切って応援し、逆転当選させたのだ。私は39歳の働き盛りであった。以来、彼は市長を5期も勤めた。

 5日が即日開票日、残念ながら落選であった。翌朝の彼の声を聞いても慰めの言葉が見つからなかった。この歳になって、しかも他人の当落に眠れぬ夜を迎えようとは・・・、ああ、選挙とは空しいものである。


 このところ世間の話題を集めているスキャンダルのなんと多いことか。

 馬鹿息子を税金を原資に裏口入学させた前代未聞の文部官僚、その大学は女性を入れたくなくて全員一律減点していたという時代錯誤のお粗末・・・。

 アメフトで不当なタックルを強制し怪我をさせた前監督、そこから日大理事長をめぐる使途不明金などの疑惑問題までが浮上した。第三者委員会が報告書を出したが、その前に「俺に歯向かった奴は居なくなる」と反省の色もない。一切の説明もなく雲隠れしているが、本当は小心者に違いない。

 日本ボクシング連盟の終身会長とかいう男のふざけた言動はなんだ。アスリート助成金の不正流用と隠蔽工作、奈良判定といわれる不正審判強要、ロンドン五輪金メダル村田選手のプロ入りに猛反対し、所属事務所から2000万円も払わせたワンマンぶり。 反社会的人物との交流も問題になっているが、あの不逞な態度、服装、サングラス、その心根まで、「やくざ」そのものではないか。

 こうした一連の問題処理に当たるのが文部科学大臣、せっかく作ったスポーツ大臣なのだが、なんとも歯切れが悪い。「教育上よろしくない」と断固たる態度をとるべきだ! ああ、なんと憂鬱な季節か・・・。




第768回「隅田川花火・・・など」

 深谷隆司の言いたい放題第768回

 「隅田川花火・・・など」

 西日本の豪雨で200人以上の方が亡くなり、被災者は今も苦しまれている。その上の台風12号でまさに災害列島、心からご冥福を祈り、1日も早い復興を祈るのみである。

 亡くなった方の半数は土砂被害であった。自衛隊の諸君が胸まで土砂に埋まりながらの救出作業、消防隊、警察官、役所の人々など、そのご苦労に頭が下がる思いである。知事からの要請で三入(みいり)小学校で入浴支援を行っている時、低学年の女の子が手紙を自衛官に渡した。そこには感謝の言葉に添えて、敬礼する女の子のイラストが書かれていた。自衛官はそれをコピーし、皆に配って「お守り」にしたという。そんなエピソードに触れて胸が熱くなった。


 台風のため隅田川花火大会が1日延期で29日になった。この日は稲城市のわかば台デンタルクリニック(徳真会松村理事長)で私が書いた150号の書「夢限りなく」の除幕式、花火見物は来年までお預けとなった。

 隅田川花火の歴史は古い。享保17年、全国的飢饉、江戸でのコレラで多くの人が亡くなった。八代将軍徳川吉宗は鎮魂のために翌年両国橋で水神祭を行い、その余興として始めたのが花火であった。

 明治維新や大東亜戦争などで中断があったが、特に戦後は水質汚濁、交通渋滞等で長らく行われなかった。都会議員になった私などが中心になって復活運動を展開、秦野章元警視総監を知事候補に担ぎ上げた時には、「花火復活」を公約にも盛り込んだものである。

 1978年、ついに復活し今年で41回目になる。郵政大臣の時には、みのもんた氏、浅香光代さんらとテレビ中継などにも出演した。

 約87万4千人もの見物客が2万発の花火を楽しんだが、隅田川花火大会は私にとっても忘れられない想い出につながっているのである。


 除幕式の後、日野市にあるステーキレストラン「大洋軒」で会食した。実は萩生田官房副長官から、「このご主人から、深谷先生を連れてきてくれと何度も言われた」と聞いて、喜んで出掛けることにしたのだ。

 「うかい亭」のトップシェフが独立して作った店だが、昔、家族と何回か来たことがある。なんと40年ぶりの訪問再会で、オーナー夫婦が小躍りして喜んでくれた。

 出会いめぐり合いの不思議、面白さを噛みしめながら、萩生田副長官差し入れのシャンパンで痛飲したものである。


 翌日は自宅で石塚台東自民党総支部長、和泉前都義、石川、太田両区議らと、来年の地方選挙の打ち合わせ、夜は「温故知新塾」で1時間半の講義、最近は講義が終わると「出待ち」の塾生が10人ほどビルの前に居る。

 今日(31日)は、これから松村先生ご夫妻と家内共々箱根の湖水祭に出掛ける。明日は箱根神社例大祭、夜は戻ってビューホテルでの「木曜会」と続く。3日からは竹村安弘県議候補の選挙応援で長野県へ、孫の安希与が老体を心配して同行してくれるので安心である。


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