第683回 「日々是よき日」

「日々是よき日」

8月25日は次女恵理の誕生日であった。50歳を迎えたのだが、娘の歳を聞いて改めて自分がずいぶん馬齢を重ねたと改めて感じた。

この日は彼女の自宅に親戚一同勢ぞろい、そこにこの間の知事選挙で苦杯をなめた増田寛也夫妻、当選した和泉浩司都議夫妻、中屋文孝都議夫妻等も加わって30人あまりの大盛況だった。もっとも恵理は「おもてなし教室」を開いていているからこのくらいの人数では驚かない。自らの手料理で山海の美味満載であった。長女知美、孫安希与をはじめ女性勢の、いつものような協力奮闘振りも見事であった

増田夫妻とはそんなに深い付き合いではない。公的立場ではお互い承知していたが、知事選出陣式当日に石原都連会長(当時)から選対本部長を依頼され、直接的交流はその時からであった。選挙が終わって敗れると空しいものだ。そんな経験を持つ私だけに、少しでも励ましたいと思って招待したのだ。

ご夫婦ともお酒は一滴も飲めないが、いつものように呆れるほど賑やかなわが家の宴に、すっかり溶け込んでくれたようで嬉しかった。


8月は毎夜の如く宴が続いたが詳細は省略、勿論肝臓のほうは大丈夫だ。

17日には熱海後楽園ホテルに家族全員で宿泊、毎年熱海の花火を楽しむことが恒例になっているが、この小さな旅は20年余り続いている。

20日には、政木喜三郎会長が、浅草ひさご庵で、和泉都議祝勝会を開いてくれた。中屋都議、大田区議会議長、石塚区議、それに私ら夫婦と、まさに気を使うことのない内輪の会であった。

談論風発、話は尽きない。そこに芸者も加わったが、その夕子姉さん、実は94歳の浅草有名人、三味線の腕は全く衰えず見事なもので、一同「負けて入られない」と妙に張り切ったものである。


一方、公務の面でも忙しい。知事選挙に破れた後、都連の会長、幹事長らが責任をとって辞職したが、その後任の人事が私に委ねられている。選考委員長の大役を仰せつかったのだ。

小池知事の動向も見なければならないし、マスコミ等の反応もきちんと把握しなければならない。決めるまで少し空白を置こうと思ってきたが、9月早々には選考委員会を開かなければならない。いずれにしても都民目線でいい答えを出したいが、難しい対応が求められ、責任は重い。

3階に住む倅隆介一家が今日から身内の結婚式でハワイに立った。老夫婦が残されて心細いと妻が言うが、私も同じような心境ではある。

第682回「150号虎の絵完成」

 深谷隆司の言いたい放題第682回

 「150号虎の絵完成」


選挙関係で忙殺されていたが、ようやく時間が出来、811日から4日間、箱根に籠り、依頼されている虎の絵に取り組んだ。

既に数ヶ月前から様々な虎の絵を描いている。なかなか思うような形が描けなかったが、知事選挙前、ようやく納得出来る下絵が出来上がった。試作した絵は30枚を越えている。その間、二科展仲間の幹田陽彦さんには銀座伊東屋への画材購入等で何度も足を運んでもらうなど苦労をかけた。


下絵を150号、つまり畳三畳の大きさに描き直さなければならない。そんな場所は私の山荘にはない。いつものように近くの日本画家、中野嘉之先生の別荘兼アトリエを使わせていただくことになった。

先生は多摩美大の学部長も勤められた高名な日本画家で70歳、私とは40年のお付き合いになる。

昨年、仙台の「あすと長町デンタルクリニック」の正面玄関に飾るべく、徳真会松村博史理事長から依頼されて龍の絵を描いたのだが、今回は新たに出来る仙台の「青葉西デンタルクリニック」の玄関に掲額するためのものである。

前回もそうだったが、4日間、私が作画に取り組む後ろで、先生ご夫妻と私の妻が介添え役をつとめてくれる。妻は総監督、中野夫人は監督といった風情だ。

なによりも嬉しいのは中野先生自ら、様々な下準備を整えてくれたことである。まず、黄土の中に胡粉を混ぜて塗った和紙のパネルを用意してくれている。

私はとてつもなく大きい下図を本紙に写しかえ、デッサンを見ながら新しく描いていく。本番では、濃い墨で一気に虎の絵を描き上げる。上手く描けなければ取り返しがつかない、たちまちアウトなのだ。

前回の場合は水墨画だった。今回は岩料と膠を水で溶き、色彩豊かに描かなければならない。色を平均に広げていくことだけでも本当に難しい。中野先生指導の下、まさに日本画への初挑戦であった。

最終日、後一歩で完成という時、肝心の落款を自宅に置いてきたことに気づいた。

急遽、和泉浩司君に連絡すると、「分かりました」と答え、なんと2時間半かけて自ら運転して届けてくれた。

いよいよ最も重要な目をいれる。白目の部分を金、黒目の周りには緑青を焼いて縁取りし、黒目を入れた。瞬間、虎に生気が生じ、生命が宿った。

全員で歓声を上げた。総監督と監督が抱き合って泣いている。私も中野先生も、そして和泉君も感極まって絶句していた。


夜、仙石原のアルベルト・バンブーで完成祝賀会、幸いにも和泉君の都議当選祝いも兼ねることが出来た。

本当にきつい作業だった。わずか1年前、龍を描いた時と疲労感が全く違う。からだ中の節々が痛んで、妻共々、歳のせいかと体力の限界を感じたものである。

しかし、だからこそ達成感が一層大きくて、まさに至福の時であった。

来年、あと2枚描いて欲しいと松村理事長から既に依頼されている。

無理かな、と思いつつも、こんな機会が与えられることはありがたいこと、体を大事に鍛えなおして・・・と、すっかりやる気になっているのであった。


第681回「選考委員長の大役に」

 深谷隆司の言いたい放題第681回

 「選考委員長の大役に」


 自民党が都知事選挙に敗れて混乱が続いている。知事候補者選考過程については、直接関与する立場になかったのでつまびらかには分からないが、少なくとも自民党本部の決定であったことは間違いない。しかし大敗するや、安倍総裁も二階幹事長も、早速小池知事と面会し、「一本取られた」、「打ちかたやめ」と言い、協力体制を打ち出した。それはある程度やむをえないことだが、直接戦った自民党都連はすっかり取り残された形になって、それどころか世論やマスコミの好餌になっている。

 知事が都議会自民党を訪れた時、総務会長一人しか出迎えなかったこと、議長に会いに行くと、一緒の写真をという記者の注文に応じなかったこと、更には石原会長の記者会見で「本来の責任は党本部の幹事長にある」と責任を転嫁した云々・・・。もはや何をやってもことごとくが批判の対象になっている。

 党規に反した場合、当然懲罰の対象になるが、どうもうやむやになる公算が高い。豊島区など、なんと知事選挙が終わった直後、81日に支部総務会を開き問題の若狭勝衆院議員を支部長に決めてしまい、党のために尽くした9人の自民党区会議員が路頭に迷うことになってしまった。

 勝てば官軍と言うが、これでは政党は存続できない。きちんとけりをつけるべきだと私は思っている。 

4日、幹部会合で石原会長、内田幹事長等五役が責任を取って辞意を表明し、今日(5日)、11時から開かれた支部長常任総務合同会議で正式に辞任が決まった。

問題は、これから新役員をどうするかだが、席上、突然都連役員選考委員会名簿が配られ、なんと私が選考委員長になっていた。

知事選挙の時も、出陣式の日、突然、石原会長から確認団体の選対本部長になって欲しいと懇願され引き受けたのだが、これでは時間がなく、十分な体制を組むことが出来なかった。

今回も、直前のことで戸惑ったが、混乱の時だからと甘んじて引き受けることにした。正直に言えば、この歳になってもいざという時には頼りにされているということで、これは喜ぶべきことなのかもしれないと思うのである。

挨拶で「いつまでも後ろ向きでいてはならない。今までの執行部の努力に感謝し、これからも自信を持って前進しよう」と檄を飛ばした。

会合の部屋を出ると早速マスコミ陣に囲まれて大変な騒ぎとなった。馴れているとはいえ、失言や誤解の無いよう、心して発言した。

改めて思うことは大変な役目を引き受けたということで、選考委員会の結果次第で、自民党都連の興亡が決まるといっても決して過言ではないのだ。

五箇条のご誓文ではないが、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」で、しっかりみんなの声を聞き、誰もが納得するような立派な人事を決めたいと思っている。

帰宅後、増田ひろや氏が挨拶にこられた。誠実で朴訥な人柄で、話すうちに、この人を応援したことは決して間違いではなかったと改めて思い、胸が痛んだ。

「どうか体を大切に、元気で頑張って下さい。今度、パワースポットといわれる娘恵理の家で、残念会、いや、激励会をやりましょう」と提案した。

今夜は和泉浩司夫妻らを招いてお祝いの会を主催する。

人生悲喜こもごも、波乱万丈であった自分の越し方を振り返りつつ、感慨無量の思いであった。


  

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