第786回「台湾講演などで、少しグロッキー」

 深谷隆司の言いたい放題第786回

 「台湾講演などで、少しグロッキー」

 徳真会松村先生の依頼で、台湾での講演のため12月6日から4日間の旅をした。

 昔、蒋介石総統の招きで日本学生代表団の一員として、この地を訪れている。後の総理海部俊樹氏も同行した。日本が敗戦を迎えてまだ10年足らずの頃だけに、日の丸を胸に、大いに高揚した気分で過ごした事を鮮明に覚えている。

 あれから60年余になるが、その間、正則学園高等学校の修学旅行に付き合ったり、当選の時などは秘書達を連れて慰労の旅をしたこともある。

 今回の主催団体は福智文教基金会という財団で、孟子の道徳思想を背景にした国民運動を展開し、教育から、自然栽培まで多岐にわたって目覚ましい活動を行っている。  

 会員は10万人を超え、運営費は具体的には教えなかったが数百億円規模であるらしい。

 講演は台北福華国際文教会館講堂で行われたが、到着すると1000人の老若男女が集まって満員盛況であった。

 主催者の黄教授(200冊に及ぶ著書のある学者)の紹介で、まず松村先生の講演が始まる。あらかじめ用意した中国語で書かれた綿密なパワーポイントを駆使し、歯科医療グループとして如何にして東洋一の規模になったかを語った。

 初日から出会って、いつも同行してくれた唐先生というエレベーター会社会長が私を紹介する。彼は88歳、お互い高齢者同士ですっかり意気投合した人物である。

 不覚にも私はパワーポイントも作っていなかった。ならば、ひたすら50年培った雄弁に徹し、日本の道徳観である「武士道精神」を語ろうと思わず力が入った。幸い名通訳がいたお陰で会場は盛り上がる。最後は大歓声に包まれ、廊下に出ると握手攻めとなった。「これなら当選だ」と言って大いに笑わせたものだ。

 講演も終わり、夕食は最高の店に案内される。さあ酒だと張り切ったら此処は精進料理店、一切の酒は出ずお茶だけの会食で、おまけに教育者や政府関係の参加者から質問攻め、なんとも残念な最終の夜だった。

 帰国して家族と寿司で痛飲、やっぱり日本が最高だ。子供や孫に囲まれてまさに至福の夜だった。

 次の日は台東区町会連合会60周年大会でビューホテル、その翌日はTBSの年末特集の取材、自宅にカメラがセットされ、1999年、シアトルでのWTO会議で大臣として米側と激論した事を、赤裸々に語った。今は時効だから秘話も語れる。いずれ放映日が決まったらお知らせするつもりだ。

 夜は台東区議団と何十年来の馴染みのふぐ屋「浅草魚清」で会食、「疲れを忘れて」と言いたいところだが、本当は家内ともグロッキーなのである。



第785回「なんとなく舌好調」

 深谷隆司の言いたい放題第785回

 「なんとなく舌好調」

 家内に「外で講演など話す機会が多いのに、家に帰ってもよく喋りますね、疲れないのですか」とよく冷やかされる。おしゃべりは功罪相半ばするが、私の場合は舌禍事件を起こしたこともなく、むしろ良い結果を得ていると自分では勝手に思っている。

 過日も浅草ビューホテルの遠藤社長以下幹部が年末の挨拶に来られたが、ホテルの成立ちから説明したのは私だった。

 そもそも此処は5000人も入る東洋一の国際劇場で、私が都議会議員に挑戦した時以来、何度も後援会大会を開いて満員にした、いわば私の古戦場であった。その劇場が閉鎖と決まって、中曽根先生に依頼、私が中心になって誘致したのがこのホテルなのだ。今ビューホテルは盛況で浅草の繁栄にもつながっているが、そんな歩みを知っている人は少ない。

 過日、ホテルニューオータニの久兵衛で、隣同士で親しくなったのが松居一代さんであった。彼女はブログで「上品なご夫婦」と、早速その時の様子を紹介、ちょっとした話題になった。しかも彼女からすぐに丁重な手紙が届いた。なかなの良い人である。私のお喋りから始まったこと・・・? 楽しいではないか。

 自民党三多摩支部連合会研修会に招かれ、11月28日、グランドホテルで講演した。

 吉野会長の挨拶で「160人の予定が深谷先生の人気で230人を超えました」。私はすっかり気をよくして「愛国心について」熱情込めて語ったが大きな反響で、帰りは握手攻めであった。自分は「語り部」の役割を果たしていると満足であった。

 30日には友人の生島ヒロシさんの「生島企画室30周年感謝の集い」がホテルニューオータニで開かれた。さすが交際範囲の広い人で発起人だけでも有名人が30人を超える。来賓も含めて壇上に上がったが、私の周囲にゴルフの青木氏、評論家の寺島氏、青山学院三木学長、せんだみつお氏等、枚挙にいとまがないほどであった。

 司会の徳光氏から、突然「深谷先生からご挨拶」と紹介された。全く聞いていなかったからびっくりしたが、挨拶は私1人、弁慶ではないが「その時少しも騒がず」、1000人を超える客を前に悠々と生島氏の活躍ぶりを話した。

 翌日、家内に生島氏から感激感謝のメールや電話があり、「このご恩を返すために、ご家族全員を年内に食事に案内します」、彼らしく少しオーバーだが、私の気分は上々であった。

 多分、元気なうちはしゃべり続けると思う。深谷が饒舌でなくなった時は・・・、そんなことは今考える必要も無いことである。


第784回「大阪万博決定に思う諸々」

 深谷隆司の言いたい放題第784回

 「大阪万博決定に思う諸々」

 11月23日、博覧会国際事務局総会で、2025年の国際博覧会が大阪で開催されることが決まった。

 決戦で92対61の大差でロシアを下したが、これはロシアより日本が世界から好感が持たれ、高く評価されているということで嬉しいかぎりだ。

 1970年、第1回の大阪博覧会には都議会議員の時参加したが、34歳、まさに青春真っ盛りであった。

 このような大規模万博の2回目は2005年の愛知万博だが、その決定、準備の時代、私は通産大臣であった。様々な苦難を乗り越え、大成功を収めたが、今懐かしく思い出している。

 今度の大阪万博は7年後で、私は90歳になっている。さて元気で生きているのだろうか。本音で言えば、家内共々万博に行こうと心に決め張り切っている。

 昭和から平成、そして来年は年号が変わる。年月の流れ、変化に驚き、感慨無量の思いである。


 2020年は東京五輪だが、オリンピック経済効果を期待する一方、その終了後は不況と見る人も多い。それは前回の五輪の後、昭和不況と呼ばれ成長率が5.1%と急降下したからだ。

 日本銀行は、今回の五輪開催時、名目GDPは8兆円程度押し上げると試算している。GDP比は1.4%だ。過去の五輪開催時の平均は10%であったから、これは相当小さい。 つまり反動減もやはり小さいと考えているのだ。

 過去の例を見ても、先進国はオリンピックだけの特別投資はそれほど必要としなかった。だからアトランタ、ロンドンなどはオリンピック終了後にあまり経済の変動がなかったのである。

 日本の場合、例えば投資に限って考えても、開催から2年間は低下する傾向があるが、GDP全体への影響は必ずしも大きくはない。

 現下、人手不足が深刻である。供給制約から建設投資が先送りされる傾向が強い。建設受注残が積み上がっていることから、五輪関連の建設投資の一巡後は、その他の潜在的な建設需要が顕在化することによって反動減が生じにくいと見ていいのではないか。


 いずれにせよ、大阪万博の決定は、五輪後も日本経済を順調に持続させるための次の一手になることは間違いない。

 問題は大阪万博の内容だ。前回の万博の「夢をもう一度」といった安易な発想では駄目だ。官民挙げて知恵を出し合い、世界の期待に応えられるような立派な大阪万博になるよう心から期待している。



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