第867回「中曽根元総理葬儀に参列」

 深谷隆司の言いたい放題第867回

 「中曽根元総理葬儀に参列」

 昨年11月に101歳で亡くなられた中曽根康弘元総理の内閣・自民党合同葬が高輪のグランドプリンスホテルで営まれた。当初は武道館だったがコロナ禍で場所も変更、三密を避けるため5千人も入る会場には政界関係者や近親者らわずか644人であった。辻代議士が居ないので電話すると「われわれ陣笠は断られました、8回生以上しか参列できなかったのです。」と残念がっていた。

 私のようなOBはわずか数人、全員マスクだから顔もわからないが、隣の石破議員はじめ、多くの後輩たちから盛んに声を掛けられ嬉しかった。

 菅葬儀委員長は追悼の辞で「中曽根先生は次世代の我が国の姿を見据え、必要な改革を実行され、国際社会の平和と繁栄に貢献された。改革の精神を受け継ぎ、国政に全力を傾けることをお誓いする。」と述べた。総理に就任して初めての「生の声」を聞くような感じであった。  

 その後、天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻の使者が拝礼し、秋篠宮ご夫妻をはじめ皇室の方々が供花された。友人代表は渡辺恒雄読売新聞主筆だが欠席、代理の方が代読されたが、確か94歳のはず、大丈夫かなと健康が心配になった。

 1時間半に及ぶ式典で、私は在りし日の中曽根先生のことを偲んでいた。

 98歳の時お尋ねし、ご一緒に写真を撮ったが「深谷君の手は温かい、若いっていいね。」と言われて戸惑ったものだ。

 私の政治家としての半生は先生と共にあった。出会いは無名の私が区議の頃からだから60年に及ぶ。随分良くして下さったが、どちらかと言うと私は反抗児であった。衆議院初出馬の時は反発して無所属で当選したし、先生が総理の時に主張した「売上税」で反対運動を起こし、腹心の反乱と大騒ぎになったが、これをつぶしたこともある。

 しかし、先生は決して怒ったこともなく、一緒にヨーロッパに行こうと誘い、サッチャー首相、コール首相など錚錚たる世界の要人たちに会わせてくれたりもした。

 本を読め、芸術論や文化論が出来なければ世界の政治家と太刀打ちできないと常に言われた。渡辺氏の弔辞に「カント哲学の信奉者」であることが紹介されていたが、中曽根先生はまさに哲人であった。

 そんな先生の葬儀の費用についてテレビなどで批判の声もあった。中には兵庫県の知事が最高級車を使うことへの批判と同一視し、税金の無駄遣いではないかと論じたものもいた。まるで次元が違うことをわざと混同させて政治批判につなげる、最近の一部マスコミの常とう手段である。

 また各府省が弔旗を揚げることや黙とうをすることを閣議了承し、同様の方法で哀悼の意を関係機関に協力を要請したが、特に文科省が全国の国立大などに同様の要請したことから、「思想統制につながる」との声も上がった。40年前からやっていることだが、それでは40年間も思想統制してきたとでも言うのであろうか、全く論理的ではない。

 昭和天皇の大喪の礼の時も文科省から弔意伝達があった。ところが学生50人ぐらいの反対で、東大は約30分掲揚しただけで終わり、一橋大は唯一掲揚できなかった。馬鹿げた話ではないか。

 天皇は日本国の象徴であり、国民統合の象徴でもあるので、国民的敬弔の対象として公的性格を持つ。儀式運営のために公金が支出されても問題はない。これが内閣法制局長官の判断で、今も変わりはない。

 大喪の礼と同一視は出来ないが、国民的敬弔の対象として公的性格を持つという点は元総理の葬儀でも同様である。

 戦後の総理として生前に大勲位を受賞した人は吉田茂、佐藤栄作と中曽根先生の3人しかいない。私は吉田、佐藤両先生と同じように「国葬」として全額国から出してもおかしくないと思っている。

 「暮れてなお、命の限り蝉しぐれ」

 これは先生の句だが、いくつになっても国の為に正論を訴え続けた愛国心に満ちた中曽根先生の教えでもある。

 千葉県の友人はじめ多くの人から私と同様の考えを伝える声が続いた。「心から先生のご功績をたたえ、その死を悼み、静かにお送りしたい。」これは決して私一人の思いではないのである。



第866回「WTOについての日本の立場」

 深谷隆司の言いたい放題第866回

 「WTOについての日本の立場」

 世界貿易機関WTOの事務局長選で、日本は誰を選択すべきか困っているという。最終候補になっているのが韓国産業通商資源省の愈明希(ユミョンヒ)通商交渉本部長とナイジェリアのオコンジョイウェアラ元財務相の女性候補の二人である。

 各国の国益が衝突する国際機関では、トップである事務局長が調整役を担うが、日本との関係悪化が続く韓国の候補か、あるいは中国が推すナイジェリアの候補か、はっきり言ってどちらも日本にとって望ましい事務局長ではないと思う。


 WTOとは世界の貿易の自由と公正を促進するために1995年に設立された国際機関で、加盟国は164か国(2018年)ある。

 世界各国との間で行われている貿易が、自由で公正なものであるかを評価して、自由貿易の障害となる制度や行為を行う国と交渉して改善を図ったり、制度を改善しない国を処罰したりする。

 加盟国の貿易紛争を解決する際、まず一審にあたる「小委員会」で審理し、そこで結論に異論が出た場合、最終的な判断を下すのが「上級委員会」である。上級委員会で裁判の役割を果たすのは7人の委員だが、任期が切れた委員の後任の人選にアメリカが反対して、審理に最低限必要な委員の数が足りず機能不全に陥っているのだ。

 原因は中国との紛争で上級委員会が非常に中国に有利な解釈を示したからだ。又、WTOで中国は「途上国」として扱われ貿易の優遇策がとられている。これに対する不満も大きい。2001年に中国が加盟して以来貿易は拡大し、日本を抜いて世界第2位の経済大国に躍進した。にもかかわらずいまだに途上国扱いは確かに大問題である。

 結局、WTOのルールは、中国のような、大規模な国家資本主義を想定しないものであったと私は思っている。


 私は通産大臣時代の1999年、シアトルで行われた閣僚会議に出席してWTOの無能さを身にしみて感じたことを覚えている。

 アメリカのアンチダンピング濫用をいかに防止するかが当時の私の任務であった。

 アンチダンピングとは自国より不当に低い価格で輸出した場合、輸入国は国内産業保護の為に高い関税を課する制度である。正しく運用されれば国内産業を守るための正当な自己防衛手段だが、不正濫用されれば国内の弱い産業を守るためだけの目的に使われ高い関税障害となる。

 当時この濫用が多発し、特にアメリカが多く、そのために日本の鉄鋼業界は大変な苦労を強いられていた。

 私はロビー活動、バイ会談、フレンズ会合を精力的に行い、分科会議長のペティグルー氏(カナダ)と意気投合し、日本の主張通りのテキストを作成し、分科会としてまとめることに成功した。

 これで日本の主張が通るかに見えたが、なんとその時、バジェスキー議長は突然会議を招集し、会そのものを閉会にしてしまったのだ。

 WTOは失敗に終わったのだが、この時はアメリカのリーダーシップ低下、運営の不手際、強引な議事運営、その上135か国(当時)と国が多く、その4分の3は開発途上国であることも 混乱の要因であった。

 以来、合意が難しい多国間の枠組みよりも、地域ごとに結ぶ貿易協定が主流になっている。FTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)、更にTPP(環太平洋経済連携協定)のような連携が多くなったのである。


 まとめる能力も薄くなり、自国優先など問題点の多いWTOにいつまでも依存する時代は過ぎたのではないか。

 莫大な費用負担も含めて日本はWTOを見直すべきではないか。WTOの改革を進めるか、あるいは距離を置く方が日本にとって賢明な道か、新政権に与えられた課題は大きい。



第865回「日本学術会議は廃止せよ」

 深谷隆司の言いたい放題第865回

 「日本学術会議は廃止せよ」

 日本学術会議が会員として推薦した候補者の内、6人が認められなかったとして、大きな騒ぎになっている。最初に報道したのは「赤旗」で、1面トップのスクープ記事であった。

 学術会議とは内閣の管理下にある機関で会員210人、任期6年で3年ごとに半数が交代する。会員は学術会議が選考して首相に推薦し、これに基づいて首相が任命することになっている。しかし、不思議なことに今まで推薦した候補者が任命されなかった例はない。

 逆に言えば、推薦すれば100%必ず任命されるなら、任命権は推薦者が持つことになるが、そんな権限は本来彼らにない。

 任命権を持っているのは内閣なのだから、今回のことは内閣法に基づいて任命権を行使したに過ぎないのであって全くの適法なのである。学者が、国民が選んだ議員が国会で決めた総理大臣より権限が強いなどとんでもない錯覚だ。

 任命されなかった人が、「学問の自由への乱暴な介入」と批判しているようだが、別に会員でなくとも大学での研究が妨げられるわけでも制約されることでもない。

 会員という権威を得ることと学問の自由を混同するような非倫理的学者は、そもそも会員にふさわしくない。「もしかしたら特別職国家公務員としての権威と手当てが欲しいのではないか」と批判する人もいる。


 令和2年の予算を見ると学術会議に10億5千万円が計上されているが、今までの莫大な予算で、一体、学術会議はどれだけの仕事をしてきたのか。

 私が印象に残っているのは、平成29年に彼らが出した「科学者は軍事的研究を行わない」という声明ぐらいだ。武器になるような技術の開発は行わないと勝手に決め、全国の大学、学者に圧力をかけている。

 永田恭介筑波大学長は、「コロナウイルスに対するワクチン研究は生物化学兵器に転用される可能性があるが、その選別は難しい」と言っている。自衛のためにする研究もダメと言うのは、憲法23条が補償する「学問の自由」を制約することになる。

 もう一つあげれば中国科学技術協会と北京で覚書をかわしたことだ。中国の軍事転用可能な技術に協力する日本科学者の窓口になっていないか。とんでもないことだ。

 天文学者の戸谷友則氏は、学術会議は「学者の国会」と言う人がいるが、87万人の学者が選んだ代表ではない。新会員は学術会議の中で決めていて、会員でない大多数の学者は関与もできないし選挙権もない。「学者の国会等と言ってもらいたくない」と批判している。 

 学術会議は閉鎖された特殊社会であり、独りよがりの色合いが濃く、押しなべて反権力、このような場所は進歩的左翼が育つ絶好の場所ではないか。

 内閣府に反政府の機関があること自体おかしいと私は思っている。

 既得権益にすがり、存在理由の分からないこのような機関こそ、菅総理が言われる「悪しき前例打破」の対象だ。

 廃止を含めて是非国会で論じてもらいたいと願っている。




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