第942回「ついに87歳」

 深谷隆司の言いたい放題第942回

 「ついに87歳」

 年月の流れは本当に早い。今日(9月29日)、馬齢を重ねて誕生日を迎えた。おかげで元気一杯、妻や家族や友人たちに囲まれ、しかも、日々忙しく、それが若さの背景だ。

 こうしてパソコンに向かっていても、次々祝い客が来られて、何度も中断している。ありがたいことである。

 特に最近はあわただしい日程が続いて、このブログも遅れがちで、皆さんから問い合わせが多かった。

 21日から九州の旅をした。大分で広瀬知事夫妻と会食、彼は私が通産大臣時代の事務次官、30年ぶりの再会だ。熊本では蒲島郁夫知事ご夫妻と会食、3年ぶりだが、彼はハーバード大学院修了の東大名誉教授、異色の学者知事だ。長崎では大石賢吾知事夫妻と会食、彼は政経塾の塾生、私の良き弟子の一人、今年39歳で知事になったばかりだ。知事と愉快な会食の旅、めったにないことである。

 24日帰京、夜はニューオータニで孫香瑠の求婚者と一家で会食。

 25日早朝は文京区の空手護身会大会、飯田会長の下500名、私は名誉会長だ。

 26日は月刊Hanadaの花田氏と自宅で来年の連載記事の打ち合わせ、辻代議士と大会の相談等。

 27日は安倍元総理の国葬、6時間と日本武道館での滞在時間は長かったが、外国要人も含め4300人以上の弔問客で粛々と行われた。何よりうれしかったのは一般献花の人が、4時間待ちの大変な人出であったことだ。

 前日、私が代表者で国葬が如何に必要か「意見広告」を産経と読売に出したが、成果が上がったと自負している。

 夜は自民党政経塾での授業をこなし、終わって塾生らとジンギスカン店で痛飲。帰宅は夜の11時半。

 28日は笹川たかし氏と「政局対談」3時間余、週刊現代10月1日版で掲載される。乞ご笑覧。夜は孫麻紀の退院祝いとあわせて前夜祭?そして今日の誕生日だ。

 これが終わって少しはゆっくりしたいが日程は詰まっている。忙しいうちが華、更に張り切って進もうと思っている。



第941回「旧統一教会は私の宿敵だった」

 深谷隆司の言いたい放題第941回

 「旧統一教会は私の宿敵だった」

 前にも書いたが、私は1976年、2度目の選挙の時、鳩山邦夫氏と戦った。この時旧統一教会関連団体「国際勝共連合(1968年創立)」は彼を全面的に応援した。散々迷惑を受けたものである。だからこの団体は私の宿敵で不快感は今も変わらない。

 旧統一教会は1954年韓国で文鮮明が創設した新興宗教である。1964年日本で宗教法人の認可を受けたが、初代会長は立正佼成会の久保木修己で当初は立正佼成会と縁があった。

 1980年以降、高額商品を販売する「霊感商法」や「合同結婚式」が社会問題化した。不安や恐怖心に乗じて献金する信者が多く、今回の事件の背景もここにある。

 当時の世界はいわゆる冷戦時代で、西側諸国は共産革命を阻止するため「反共運動」を展開していた。旧統一教会は「勝共連合」を作り、政策上共通の立場として政治家に接近してきた。

 数ある宗教団体右派の一つだが、憲法改正や北方領土返還など自民党の主張と一致する政策や理念を打ち出していた。

 支援の申しこみや会合への出席依頼なども多く、政治家はその組織票と選挙協力でこれを受け入れるようになっていった。

 はっきり言ってこの団体は明らかな反日で、天皇を侮辱した儀式まである。教祖文鮮明は、日本人は敗戦まで36年間統治していた韓国への贖罪のため徹底的に貢がなければならないと考えていた。だから日本から莫大なカネを吸い上げることは当然とこれを実践してきたのである。

 いま、旧統一教会と自民党の関係が取りざたされて大騒ぎになって、茂木幹事長が多くの議員に接点があることを公表した。しかし、中身を見ると関係団体に祝電を送ったとか、会合に出席したとか、一部の信者に選挙の応援をしてもらったといった程度で大した関わりとは思えない。

 政策面で共通することがあって疑心暗鬼が生まれたようだが、旧統一教会が自民党を操った実体はないし、政策立案のブレーンであったわけでもない。

 信者数公表56万人、創価学会827万人と比べて全く小さく政策に影響するほどの存在ではないのだ。

 一般に違法行為や常識から著しく逸脱した行為が頻発した団体との関係については、公人である政治家は慎重であるべきは論を待たない。茂木氏は「今後一切関係を持たないことを徹底していく」と述べたが、地方議員も含めて関係を断つことは大事である。

 ただ憲法の政教分離の原則は、国家が特定の宗教団体を優遇もしくは忌避しないことを定めたもので、宗教団体の政治活動は認められている点には留意しなければならない。

 旧統一教会はその信仰ではなく、霊感商法や高額献金による破産などの反社会的行為を問題とすべきで、主張が似ているからといって自民党を「断罪」し、安倍元首相の国葬にまで影響を与えようとする一部メディアの論理のすり替えには気をつけねばならない。

 むしろ、これからはオウム真理教が宗教法人法で解散命令に追い込まれたように、旧統一教会についても粛々と法人格をいかにすべきかの議論がなされるべきではないかと思っている。



第940回「武蔵野市長は何を考えているのか」

 深谷隆司の言いたい放題第940回

 「武蔵野市長は何を考えているのか」

 松下玲子市長の元、「子どもの権利条例」が来春にも市議会に提出される。

 こうした条例は60を超える自治体で制定されているが、多くの場合子どもの権利として「生きる」「育つ」「守られる」「参加する」の4類型を開示するのみである。それでも「子供の健全な育成を阻害しかねない」と修正されたケースが多い。ところが武蔵野市は更に「休む」「遊ぶ」までこれに加え明示するという。

 「自分らしく生きるために休む」場合は学校も欠席扱いにならないというが、子どもにそんな判断が出来るのか。子供の意思を最大限に尊重するということだが、これでは子供のわがままを助長するだけではないか。

 戦後の教育を振り返ってみると「子ども中心主義」で、子供の自主性を大切にするというお題目のもと、教師は子供を指導する立場ではなく、サポートする、手助けをする立場になってしまっていた。指導する立場とされる立場は、知識や経験においてその差は歴然としたもので、師匠と弟子といった上下関係がはっきりしたものでなければ教育は出来ない。子供中心主義で一時期はカリキュラムまでが子供たちの都合、わがままを受け入れるものになっていた。

 当時の日本の教育現場は日本教職員組合(日教組)が牛耳っていて日本の赤化を目指し、1960年の大会では、「今子供たちを赤化すれば、将来日本で革命が起きる」とまで演説していた。この日教組が提案したのが「ゆとり教育」で、授業はそれまでの3割が削られ、ついには土曜日を休みにして週休2日制になり、日本の子供の学力は加速度的に下がっていった。

 武蔵野の「子どもに休む権利を与える」考えは、ゆとり教育につながり、60年以上も逆戻りしたということで、あきれるしかない。

 武蔵野市は昨年12月、日本人と外国人を区別せず投票権を認める住民投票条例案を出した。私も断じて反対で大キャンペンを繰り広げたが、混乱の末、市議会で拒否されている。

 武蔵野市長はなにを考えているのか、本当にわからない。市民も当惑、困っているのではないか。市議会が昨年のように常識を持って否決することに期待したい。


   1 2 3 4 5..  次の3件>>