第985回「胃がん手術から生還」

 深谷隆司の言いたい放題第985回

 「胃がん手術から生還」

 ブログの更新が遅いと思われた方も多いようですが、実は検査で胃がんが分かり、11月17日杏林大学病院に入院、20日手術、約2週間を経て本日無事生還、久しぶりに自宅に帰って来たところなのです。仕事復帰第1号がこのブログです。

 がん発見から入院まで、都連政経塾の「熱海合宿」、東天紅での「高柳元区議のお別れ会」など連日のみっちり詰まった日程は完全にこなしました。

 入院前夜はニューオータニの幹部を浅草ビューホテルに招き、9月29日の私の誕生会の打ち上げまで予定通り行いました。翌日入院とは誰も気が付きませんでした。

 一番苦慮したのは、生還まで誰にも知られないようにすることでした。友人たちに心配をかけたくないことや妙な噂が流れないようにするためです。

 妙な噂とは「深谷ももうダメ」などと言われることです(笑)。

 私の担当阿部医師は名医といわれる人で、がんの状況等詳細図に書いて説明、安心して手術に臨めました。

 昔はがんといえば本人に知らせないよう苦労したものです。石原裕次郎氏の時もそうでした。

 手術時間は5時間余、胃の約3分の2弱取りましたが完全に成功しました。癒着もリンパへの転移も無く、ただ脂肪だけが邪魔だったとのことでした(笑)。

 手術後10日で退院したわけですが、医師たちから「最短です、88歳とは思えない回復力のある頑丈な体です」と褒められました。

 さて、これで100歳まで保証されたようなもの、今後も愛国心に燃えて公の為に働く決意です。

 もっとも、しばらくは自重するようにと医師から厳しく言われていますのでこれは守ろうと思います。

 そんなわけで特にお見舞い、お心づかいは無用に願いたく存じます。

 貴方も是非検診されて、一層ご健勝でありますよう心からご祈念申し上げます。有難うございました。




第984回「政経塾合宿の感慨」

 深谷隆司の言いたい放題第984回

 「政経塾合宿の感慨」

 私が塾長を務めるTOKYO自民党政経塾は第18期講座の合宿を11、12日の土日に開いた。恒例の熱海後楽園ホテルである。

 今年の参加者はオンラインの人も加えて130人余り、会場には学生部も含めて100人余の若者たちが集まった。

 丁度浅草のお酉様の日だ。江戸時代から続いている「開運招福・商売繁盛」を願う祭りだが、コロナがようやく終わって4年ぶりに通常復活した。この祭りは年2回と3回があるが今年は2回の「二の酉」である。ちなみに「三の酉」は火事が多いと言われている。

 私は鷲神社の総代で、神社本庁から表彰されたばかりだ。そんなことも考慮して合宿への出発前の10時に大急ぎで駆けつけ正式参拝を行った。

 すでに大勢の人が押し寄せている。神社の周囲には熊手屋がひしめくように立ち並び、威勢のいい掛け声や手締めが続いている。 

 私は熊手屋組合と関わりがあり、入ったすぐの店には毎年必ず私の熊手が飾ってある。その上に誰にでも分かるような大きな名札が飾られているが、これは選挙選挙の現役時代の名残である。 昔はここに石原慎太郎氏の名前も並んで飾られていた。そういえば亡くなる直前、最後に会ったのはこの神社控え室であった。 

 私の熊手の前で大手締めが行われたが、周囲の人たちが「あれは深谷ではないか」と言う言葉が聞こえた。

 さて、1時から合宿の開校式、私は「塾長訓話」で、めぐり逢いの大切さ、縁を大切にせよと語った。

 第1講座は越智隆雄代議士で「自民党が進める財務・金融政策」である。彼の父故越智通雄氏はかつて私の同僚議員であった。時代の差を痛感する。

 第2講座は小倉将信前内閣特命担当大臣、「子ども政策の今」を語ったが、週刊誌で叩かれていたから、塾生から「なんだか言い訳みたいです」と批判されていた。

 第3、4講座は平将明都連政調会長と豊洲市場業者との「対談」であった。

 7時からは塾生お楽しみの食事会だが、宴会の最中にも質問の機会を与えた。

 私への質問は「失敗の経験はあったのですか。あったら経験談を聞かせてください」

 「選挙も含めて失敗ばかりだ。しかし、その失敗の中から学び、5度の大臣としてお国の為に働けた。まさに失敗は成功のもとだ」と答えた。

 翌日は萩生田光一党政調会長の時局講演である。彼は八王子市会議員時代、更に都議会議員になっても私の所へよく来てくれた。門下生の一人だが、やがて天下を取るかも、と言われるように立派になった。講演にも重みがあって嬉しかった。

 閉校式で「塾長総括訓話」。私は縁の大切さの話の中で、かつて思い出に残る九州宮崎の故戸高保県会議員の話をした。詳細は省くが、彼は私に素晴らしい言葉を残してくれたと話した。

 「誰かがどこかで、私達を見つめている。誰かがどこかで私たちを支えている。そこに私達の人生がある」

 語りながら思わず涙が出そうになった。

 11時、全ての日程が終わった。帰りの電車の中でどっと疲れが出たと感じたが、心は満足感に満ちていた。今年の合宿も素晴らしかった。

 いい塾生に恵まれて私は幸せ者だとしみじみ思ったのである。



第983回「クルージングを楽しむ」

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 「クルージングを楽しむ」

 和泉浩司君の御母堂の逝去で葬儀委員長を無事つとめ、悲しいことはここで一旦終わらせた。

 翌28日、桑山一家のご案内で予定通りクルージングに出かけた。ご子息所有の米国ガーリントン社製、重量33トンの豪艇で私も金持ちになった気分・・・。参加者は桑山一家に加え、何時もの気の置けないメンバーである。気象情報は雨であったが、「天気男」の私の参加で晴天、船日和である。午前10時37分、横浜ベイサイドマリーナを出発、ご子息の見事な操縦、24キロノットで海を駆け抜ける。観音崎、剣崎を経過、城ケ島の美景を眺めて11時55分シーボニアマリーナに到着した。

 レストランで昼食、食前のシャンパンは抜群で特に親しい仲間たちだけに会話も弾む。一応私が居るので話題はどうしても政治問題になっていく。

 核保有の隣国中国、ロシア、北朝鮮に囲まれ、日ごとに日本の脅威が深まっている。過日は北朝鮮のミサイルがあわや北海道に着弾かと騒がれた。
 私は思わず後輩議員に「すぐ緊急会議を開け」と檄を飛ばした。翌日のテレビを見ると確かに緊急会議が開かれたが、肝心の議員の姿はちらほらしかいない。何故集まりが少ないのかと聞くと「地方選挙の応援で出払っているから」とのことであった。野党はもっとひどく会議さえ開いていなかった。
 「こんな緊張感のない政治家たちに日本の安全は確保できるのか。」もっぱら政治家の劣化を嘆く話題が中心になった。

 もっとも緊張感のないのは国民も同じで、近年の選挙の投票率は30%前後、政治に無関心甚だしく、これでは民主主義などと言えたものではない。

 あるマスコミが若者にインタビューした。「他国が攻めてきたらどうしますか」、「この国から逃げていきます」が答えだった。一体どこへ逃げるというのだ。逃げ場所などあるはずはなく、決然立って戦うしかないのにそんなことも考えようとしないのである。
 私は自民党政経塾、温故知新塾、大学の講義などで必死に日本の問題を訴えているが、結局のところ、「教育しかない」が結論であった。

 帰路再び同じコースを取ったが、私は昔から船は苦手で、船酔いで船底のベッドに横たわる。それがかえって悪く、船底を打つ荒波にのたうつ船はベッドの私を翻弄する。必死にこらえてひたすら帰港を待つのみであった。
 老齢の為かとも考えたが、昔、大島に行くだけで船酔いで苦しんだことをふと思い出して苦笑した。何年たっても体質は変わらないものである。
 3時過ぎ、出発した時のマリーナに着いて「ああ救われた・・・。」

 夕刻は友人経営の寿司屋で乾杯、船酔いから酒酔いに代わって私は一気にご機嫌であった。思わず「皆さんにご迷惑を掛けた。お詫びに後日、料亭「いこい」で打ち上げ会を開く」と宣言した。

 「この人たちと大事に過ごしたい」、これが私の本音であった。 



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